もしも百景 〔第218回〕

長崎に唐人を囲い込んだ塀は、大陸の王朝交代が生んだ

起点: 明清交替(1644年) ・ 結末: 唐人屋敷の設置(1689年) ・ 消滅 4
長崎に唐人を囲い込んだ塀は、大陸の王朝交代が生んだ の挿絵(マカミ)

1689年、長崎に「唐人屋敷」が築かれた。来航した清国商人を一区画に囲い込み、その居住と交易を管理する塀である。なぜ幕府はわざわざ塀で囲う必要に迫られたのか。糸は二手、大陸での大変動へさかのぼる。

発端は、明が滅び清が興った王朝交代——明清交替である。

1644年、農民反乱の末に明が倒れ、満洲族の清が中国を制した(明清交替)。だが明の残存勢力は各地に残り、とりわけ台湾に拠った鄭氏は海上から清に抵抗を続けた。清はこれに対し沿岸住民を内陸へ移す遷界令を敷き、海を封じる。その鄭氏台湾を平定して沿岸支配を安定させた清は、ついに海禁を解いた——展海令である(清の海禁解除)。これにより長崎へ来航する唐船が一気に増えた。

唐船が急増すると、こんどは別の問題が浮かぶ。市中に散らばって滞在する清国商人と日本人との間で、抜け荷(密貿易)や風紀の乱れが懸念されるようになったのだ。そこで幕府は唐人の居住と交易を一区画へ囲い込み、出入りを管理する策に出た(唐人屋敷の設置)。海の向こうの平定が交易を開き、その開放がこんどは管理の塀を呼んだのである。

データで確かめよう。因果絵巻から「明清交替」を抜くと、消える出来事は4件。隠元と黄檗宗も、清の海禁解除も、唐人屋敷の設置も、清の広東貿易体制も、そろって道連れになる。揺らぐ出来事は592件に及ぶ。

もし明清交替がなければ——台湾の平定も、それに続く展海令もなく、長崎の唐船がにわかに増えることも、それを囲い込む唐人屋敷が築かれることも、別の形になっていたかもしれない。

大陸で一つの王朝が別の王朝に代わる。その遠い政変が、海を越えて長崎の港のかたちを変え、一区画の塀にまで行き着く。遠い興亡が、足もとの制度を書き換える——因果の糸は、そんな機微を静かに告げている。

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