もしも百景 〔第215回〕
万葉集を掘り下げさせたのは、官学化した朱子学だった

賀茂真淵の万葉集研究。古代の歌を後世の注釈に頼らず原典から読み解き、国学を一つの学問へ鍛え上げた仕事である。だが、この古典への沈潜を促した最初の一押しは、真淵の情熱でも万葉集の魅力でもない。幕府が公認した、朱子学そのものへの反発だった。
朱子学の官学化(1607年)である。
三手の因果をたどろう。幕府が朱子学を官学として重んじると、やがてその学問は権威に安んじて思弁に偏っていく。これに飽き足らぬ儒者たちが、注釈を排して孔孟の原典へ直に向き合う陽明学・古学を対抗的に打ち立てた(1662年)。原典に立ち返るというその学風が、契沖に注釈を疑い古典そのものを実証的に読む姿勢の手本を示し、国学の萌芽をもたらす(1690年)。契沖が万葉集を原典から読み解いたその方法を、真淵が県居派の学統として体系立て直し、万葉集研究として大成した(1746年)。官学への異議が、めぐって古代日本の歌の解読に結晶したのである。
データで確かめよう。因果絵巻から「朱子学の官学化」を抜くと、消える出来事は6件。陽明学・古学の興起も、契沖と国学の萌芽も、荻生徂徠と古文辞学も、『大日本史』と水戸学も、上田秋成と『雨月物語』も道連れになる。揺らぐ出来事は545件に及ぶ。
もし朱子学が官学とされなければ——それへの反発から生まれた古学も、原典重視の国学も、真淵の万葉研究も、別の形をとっていたか、生まれなかったかもしれない。正統として据えられた学問が、139年後、それを乗り越えようとする古代研究を育てた。権威づけられた思想は、しばしばそれ自身を疑う学問の産みの親となる。
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