保革対立の源流を31手さかのぼると、班田収授に着く

戦後政治を規定した保守と革新の対立、55年体制(1955)。その源流を因果絵巻で遡ると、糸は西暦652年、班田収授の開始にまで届く。公地公民の理念で口分田を配ったあの制度が、1,303年後の与野党対立の遠い祖先だという。
二点を結ぶ道は9,371万6,352通り。最短の一本でも、実に31手を要する長丁場だ。
班田の班給地が足りなくなり、三世一身法、墾田永年私財法が生まれ、荘園が育つ。荘園を守る武装が武士を生み、保元・平治の乱を経て平清盛が権力の頂へ。日宋貿易が禅宗を招き、五山文学が朱子学を蓄え、それが官学化して水戸学の尊王思想を育てる。名分論が尊王攘夷を焚きつけ、下関戦争から維新へ。廃藩置県、徴兵令、日清戦争、三国干渉、日露戦争。満州事変、満州国、日中戦争と続く戦火が国民政府を消耗させ、中華人民共和国が成立。朝鮮戦争が米国の対日講和を急がせ、講和をめぐる対立が55年体制へ結晶した。班田の田んぼから、戦後の議事堂まで——糸は31本の結び目で繋がっている。
数字を確かめる。最短31手、最長の迂回路は85手、同じ二点を最も遠回りに辿れば85の出来事を経由する。両端の年代差は1,303年。この1,303年の間に、9,371万6,352本の糸が編まれている。今回の起点が古いぶん、その道のりは他のどの糸より長い。最短でも31手を要するのは、それだけ古代と現代が遠く隔たっている証しでもある。
口分田を配る素朴な制度が、1,300年後の政党政治を準備していた——もちろん、これは一本の糸の話にすぎない。歴史は一本道ではない。班田と55年体制の間だけで、9千万本を超える網が広がっている。土地の配分から荘園、武士、維新、そして戦後政治へ。どの結び目でも道は幾筋にも枝分かれし、また束ねられていく。教科書がたどる因果の筋は、その網の中の、選ばれた一本の道なのだ。
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