55年体制のいちばん遠い祖先は、モンゴル帝国だった

1955年、自由民主党と日本社会党が向き合う保革対立の構図が定まる。55年体制。戦後日本の政治を40年近く規定したこの枠組みの起点を遡ると、糸は1206年の草原に届く。チンギス=ハンが遊牧民を統一した、モンゴル帝国の成立である。
二点を結ぶ道は一本ではない。数え上げれば1億1,703万2,256通り。その中の最短の一本は、25手だ。
フビライが南宋包囲の延長で日本に国書を送り(元寇の前触れである)、元末の反乱を制した明が海禁を敷く。民間貿易を禁じた明で唯一許された交易路が勘合貿易であり、そこで学ばれた李朱医学が曲直瀬道三の医学校を生む。ここから先は、山脇東洋の腑分け、『解体新書』、国学と蘭学、尊王攘夷——維新へ雪崩れ込む道だ。版籍奉還、廃藩置県、そして徴兵令。国民軍が日清戦争を戦い、三国干渉が対露反発を煽り、日露戦争、満州事変、満州国、日中戦争。長期化した戦争が国民政府を消耗させ、中華人民共和国が成立する。共産中国の登場が朝鮮戦争の国際環境をつくり、その戦争が米国に対日講和を急がせ、講和をめぐる保革対立が55年体制として定着した。
数字を確かめよう。最短25手、最長の迂回路は74手、同じ二点を最も遠回りに結べば74の出来事を経由する。両端の年代差は749年。この749年の間に、1億1,703万2,256本の糸が編まれている。医学を経る道もあれば、貿易や戦争を経る道もある。25手の一本は、その膨大な選択肢の中で最も短い近道にすぎない。
草原の騎馬集団と、戦後日本の与野党対立。無関係に見える二点が、749年と1億本超の糸で繋がっている。フビライの国書一通が、まわりまわって国会の議席配置にまで届いていた——そう言い切れるほど、因果の網は密で執拗だ。歴史は一本道ではない。それは無数の分岐と合流でできた、1億本の網である。私たちが「原因と結果」と呼ぶものは、その網から一本の糸をつまみ上げて眺めているだけなのだ。
▶ 再現: https://inga-emaki.bucket-co.workers.dev/inga-emaki.html#mongoru