最長の糸 〔第195回〕

大宝律令から男女雇用機会均等法まで、最短18手で届く

起点: 大宝律令の完成(701) ・ 結末: 男女雇用機会均等法(1985) ・ 経路 202,502,560 通り
大宝律令から男女雇用機会均等法まで、最短18手で届く の挿絵(マカミ)

701年、大宝律令が完成する。日本が律令国家として骨格を整えた、記念すべき年——と、私たちは習う。刑法にあたる律と、行政法にあたる令。唐にならった一大法典が、ここに整った。だが公地公民や官僚制の骨格そのものは、大化の改新以来の試行錯誤で先に組み上げられていた。大宝律令は、別の時期に整えられた骨組みへ、条文という肉付けをした仕上げだったのである。

その大宝律令から、1985年の男女雇用機会均等法まで。1,284年を隔てたこの二点を、因果の糸は何本の道で結ぶか。202,502,560本——2億通り超だ。

面白いのは、同じ均等法へ、一手前の大化の改新から遡ると6億本あったことだ。起点をわずか一つ後ろへずらすだけで、道の総数は三分の一に痩せる。上流にさかのぼるほど枝分かれの機会が増え、糸は加速度的に増殖する。逆に言えば、少し下流から出発すれば、通れる道はごっそり削られる。網の広さは、どこから糸を手繰り始めるかで決まる。

最短は18手。大宝律令が官庁の職掌を定めて典薬寮を生み、そこに集まった医書が『医心方』に集成され、その宮廷医学の土壌に道三の医学校が、反発から山脇東洋の腑分けが、蘭書との一致に驚いて『解体新書』が続く。実証の姿勢が国学へ波及し、天皇中心の名分論が尊王攘夷を煽って幕末の動乱を、維新が地租改正を呼ぶ。地価基準の金納課税が寄生地主制を生み、その解体が戦後の農地改革となり、自作農の購買力が高度経済成長を支える。そして高度成長の深刻な労働力不足が女性の職場進出を進め、その拡大した実態が均等法を求める土壌になった——律令の完成から、雇用の平等まで。

一本の糸は、確かにつながっている。八世紀に唐を手本として組み上げた律令の骨格が、医学と学問と維新と経済成長を渡り継いで、二十世紀の女性の働き方にまで届いている。骨組みを整えた一年が、千三百年ののちに雇用の平等という一点へ、糸をたぐり寄せていたのだ。因果とは、これほど遠くまで糸を伸ばす。

だがこれは最短の一本にすぎない。遠回りすれば84手、総数は2億を超える。歴史は一本道ではない。701年と1985年のあいだにさえ、2億本の網が張られている。教科書の矢印は、その網から選ばれた、たった一本の糸なのだ。

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