唐の建国からバブル崩壊まで、最短の一本道は解剖台を通る

歴史は一本道だと思われている。原因があって、結果があって、教科書はそれを矢印一本でつなぐ。だが618年の長安の建国から、1991年のバブル崩壊まで——この二点を結ぶ因果の道が、いったい何本あると思うだろうか。
1,359,767,968本である。13億通り超。
その気の遠くなる本数の中から、最短の一本を抜き出そう。わずか22手。1,373年の時間を、二十二回の「だから」で飛び越える一本道だ。しかもその道は、あなたの予想を裏切る場所を通る。刀でも銭でもない。人体の内臓である。金融政策へたどり着く最短の道が、なぜか腑分けの台を経由するのだ。
駆け抜けてみよう。唐が隋を上回る大帝国を築いた、だから倭は学ぶ価値を見出し遣唐使を送る。使節が持ち帰った医書が積もり、だから丹波康頼が『医心方』を編む。宮廷医学の蓄積があった、だから曲直瀬道三が医学校を開き、その理論偏重への反発が山脇東洋の腑分けを生む。腑分けの記録が蘭書の解剖図と一致した、だから杉田玄白は『解体新書』を訳す——。
ここで糸は医学を離れる。原典を実証的に読む姿勢が国学へ波及し、天皇中心の名分論が幕府の外交失策を撃つ理論を用意する。条約調印を機に尊王攘夷が燃え上がり、下関戦争の敗北が「攘夷は不可能」と長州に悟らせて薩長同盟を、王政復古を、戊辰戦争を呼ぶ。版籍奉還・廃藩置県・地租改正と維新が駆け、地価基準の金納課税が寄生地主制を生み、その解体が戦後の農地改革となる。自作農の購買力が高度成長を支え、省エネ技術が日米摩擦を、プラザ合意を、そしてバブルを膨らませ、日銀の総量規制がそれを弾けさせた。
長安の宮廷医から、日銀の総量規制まで。一本の糸は、確かにつながっている。唐に学んだ医書の蓄積が、腑分けの驚きを経て蘭学へ、実証の学問へと姿を変え、めぐりめぐって明治維新の税制に、そしてバブルの狂騒にまで血を通わせている。因果とは、これほど遠くまで届く。
だが忘れてはならない。これはあくまで最短の一本にすぎない。同じ二点を結ぶ道は、遠回りすれば95手にもなり、その総数は13億を超える。歴史は一本道ではない。618年と1991年のあいだにさえ、13億本の網が張られている。私たちが教科書で習う矢印は、その網から選ばれた、たった一本の糸なのだ。
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