教育委員を選挙で選ぶのをやめさせたのは、その選挙だった

いまの教育委員は、首長が議会の同意を得て任命する。だが戦後の一時期、教育委員は住民が直接選挙で選んでいた。1956年、鳩山一郎内閣が公選制を廃し任命制へ切り替えた——保守政権による教育統制、と教科書は記す。間違ってはいない。だがこの転換点には、由来の異なる三本の糸が結ばれている。
一本目は、制度の糸。1947年の教育基本法と六三制は、教育行政の民主化として住民が委員を選ぶ公選教育委員会を生んだ。ところがこの「選挙で選ぶ」という仕組みそのものが、のちに公選制を見直させる土壌になる。民主化の贈り物が、自らを畳む種をあらかじめ含んでいた。
二本目は、組織の糸。同じ1947年に結成された日本教職員組合は、教育委員選挙で支援候補を当選させ、地方教育行政に影響力を伸ばした。各地で候補の当選をめぐる政治対立が先鋭化し、教育の場が票の争奪戦の様相を帯びていく。教員の労働組合が選挙を動かす——その存在が、次の糸を強く引く。
三本目は、政治の糸。1955年、保守合同で自由民主党が生まれ、55年体制が成立した。安定多数を得た保守勢力にとって、公選の教育委員会は日教組と結びついた「政治対立の場」に見えた。この安定した数の力が、制度変更を現実に可能にした。
民主化が公選制を敷き、日教組がそれを舞台に力を蓄え、その影響力への警戒が55年体制の保守を任命制へ動かす。制度・組織・政治——三本の糸が1956年の法改正で結ばれたとき、住民が委員を選ぶ時代は終わった。公選制を殺したのは、外からの圧力ではなく、公選制自身が育てた対立だった。
結び目からは新しい糸が伸びる。文部省を頂点とする統制が強まり、日教組との対立は勤務評定や学力テストの紛争へ広がり、やがて教科書検定をめぐる家永教科書裁判(1965)に行き着く。
歴史の大事件とは、糸の結び目のことである。 一片の法改正に見えるものを手繰れば、戦後民主化の理想と、労働運動の熱と、保守政治の計算が、同じ一点で出会っている。
▶ 再現: https://inga-emaki.bucket-co.workers.dev/inga-emaki.html#kyoiinninmei