糸の結び目 〔第167回〕

甘藷を日本に根付かせたのは、一人の儒者ではない

主役: 青木昆陽と甘藷栽培(1735年)
甘藷を日本に根付かせたのは、一人の儒者ではない の挿絵(マカミ)

サツマイモ。やせた土地でも実り、飢饉のたびに人々の命をつないだ救荒作物。それを広めたのは八代将軍吉宗に抜擢された儒者・青木昆陽である——教科書はそう教える。間違ってはいない。だが一株の芋が江戸の薬園に根づいたその一点には、出自の違う三本の糸が同時に結ばれている。

一本目は、天災の糸。享保十七年、西日本の米作が虫害と不順な天候で壊滅し、多数の餓死者と打ちこわしが出た。享保の飢饉である。米だけに頼る食が一夜で崩れる恐怖が、冷害にも虫害にも強い代わりの作物を探させた。

二本目は、政治の糸。時の将軍吉宗は享保の改革のただなかにいた。財政を立て直し、実用の学を重んじるこの改革者が、飢饉対策として昆陽に甘藷の研究を命じ、その成果を関東以西へ広める政策を自ら主導した。上からの号令がなければ、一学者の栽培試験は江戸の一角で終わっていた。

三本目は、知の糸。貝原益軒の『大和本草』(1709)に代表される本草学が、動植物の性質や栽培法の知識を地道に積み上げていた。異国渡りの作物をどう育て、どう保存し、どう毒見するか——その判断を下せる素養があったからこそ、昆陽という「新しい作物を扱える人材」がそもそも存在しえた。飢饉が起きてから慌てて生まれる人材ではない。何十年もの学問の蓄積が、静かに一人の担い手を用意していたのだ。

天災が必要を生み、政治が号令をかけ、本草学が担い手を用意する。飢饉・改革・学問——まるで畑の違う三本の糸が、小石川薬園の一畝で結ばれたとき、甘藷ははじめて日本に根を張った。

そしてこの結び目からは、新しい糸が出ていく。昆陽が刊行した『蕃薯考』が西日本一帯へ栽培法を運び、やせ地でも育つ芋は備荒作物として各地に広まった。以後、飢饉が襲うたびに、この一株の子孫が人々の胃袋を静かに支えることになる。

歴史の大事件とは、しばしば糸の結び目のことである。 一本の英雄譚に見えるものも、手繰れば天災と政治と学問が同じ点で出会っている。青木昆陽の功績とは、三本の糸をたまたま同時に握れる場所に立っていたこと——それ自体が、実は最大の幸運だったのかもしれない。

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