糸の結び目 〔第169回〕

御家人を追い詰めたのは、二度の勝利と一枚の借用証文だった

主役: 御家人の窮乏(1290年)
御家人を追い詰めたのは、二度の勝利と一枚の借用証文だった の挿絵(マカミ)

御家人の窮乏——鎌倉幕府の屋台骨を支えた武士たちが、13世紀末に次々と所領を手放し、家計を傾けていった。元寇の負担が原因、と教科書は言う。間違ってはいない。だがこの窮乏の一点には、三本の糸が結ばれている。しかもそのうち二本は、勝ち戦である。

一本目は、文永の役の糸。1274年、九州御家人は自費で武具と兵糧を調え、博多で蒙古軍を迎え撃った。追い払いはした。だが防衛戦である以上、奪って分け与える敵地は無い。戦っても、恩賞に見合う土地は湧いてこなかった。

二本目は、弘安の役の糸。1281年、再びの襲来も防ぎきった。だが結果は同じで、幕府は分与すべき新恩地を得られなかった。二度の勝利で膨らんだのは、軍費という名の赤字だけである。命がけで国を守った者に、幕府は借りだけを負った。

三本目は、銭の糸。この時代、貨幣経済が地方まで浸透し、御家人は所領を担保に借上と呼ばれる高利貸から銭を借りた。利息は元金を膨らませ、質入れした土地は流れる寸前まで追い込まれた。加えて分割相続の慣行が、代を追うごとに一人当たりの取り分を細らせていく。所領は増えないのに相続人だけが増える——縮む土地と膨らむ利息が同じ家をはさみ撃ちにした。外敵と戦っていない平時でも、家計は静かに削られていった。

二つの防衛戦と一つの高利貸。戦の糸が「恩賞なき出費」を積み、銭の糸が「利息という出血」を重ねる。 分野の違う三本が同じ一点で結ばれたとき、幕府の忠実な家臣は、幕府のために貧しくなるという倒錯した立場に立たされた。

この結び目からは、太い糸が二本出ていく。困窮した御家人を救おうと幕府が出した永仁の徳政令(1297)。そして統制の緩んだ隙を突いて年貢や作物を実力で奪う悪党の横行(1305)。どちらも、この窮乏を起点に絵巻の奥へ伸びていく。

歴史の大事件とは、糸の結び目のことである。 モンゴルは日本を一度も占領できなかった。それでも御家人の家計には、二度きっちり上陸していたのだ。

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