糸の結び目 〔第159回〕

奈良の大仏とは、王が発した国家非常事態宣言である

主役: 東大寺大仏の開眼(752年)
奈良の大仏とは、王が発した国家非常事態宣言である の挿絵(マカミ)

天平文化の華、金銅の盧舎那仏——奈良の大仏を、仏教芸術の頂点として眺めたくなる。だが752年の東大寺大仏の開眼という結び目をほどくと、そこに結ばれているのは荘厳さではなく、三本の不穏な糸である。

一本目は、疫病の糸。天然痘の大流行(735年)。有力貴族まで次々に倒れる惨状を前に、聖武天皇は仏の力で国家を守るという鎮護国家の思想へすがった。人の手に負えないものを、仏に鎮めてもらうほかなかったのである。

二本目は、反乱の糸。藤原広嗣の乱(740年)。武力反乱まで起きて政情不安は頂点に達した。天皇は恭仁・難波・紫香楽と都を転々と移した末、仏の加護に国家の命運を託す決意を固める。疫病に続いて人の世の秩序までが崩れかけたことが、王の背をいっそう仏へ押した。

三本目は、制度の糸。国分寺建立の詔(741年)。諸国に国分寺・国分尼寺を置いて鎮護の寺院網を張るこの方針が、その総本山を都に据える構想——すなわち大仏造立へと発展した。

疫病と、反乱と、制度。恐怖と政治と信仰という別々の糸が、一体の巨大な銅の仏に結ばれた。行基の協力で民の資材と労力まで注ぎ込まれ、開眼供養が営まれる。それは美の事業である前に、追い詰められた王の非常事態宣言だった。国家財政を大きく圧迫したのも当然である。

結び目からは、いくつもの糸が伸びていく。国家に深く食い込んだ仏教教団の勢いは、僧が皇位をうかがう道鏡事件(769年)を生み、鎮護を願う祈りは膨大な数の百万塔陀羅尼(770年)を刷らせ、大仏開眼の供養に集った宝物の数々は正倉院宝物(756年)として今に残る。一点の結び目からほどけた糸が、その後の奈良の政治と文化を丸ごと編んでいくのである。

奈良の大仏は、平和な信仰心が咲かせた花ではない。疫病と反乱に追い詰められた王が、国じゅうの不安を一点に束ねて鋳あげた——文字どおりの結び目である。歴史の大事件とは、こうした糸の結び目のことなのだ。

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