糸の結び目 〔第158回〕

安田講堂のバリケードは、高度経済成長が積み上げた

主役: 全共闘運動と安田講堂(1968年)
安田講堂のバリケードは、高度経済成長が積み上げた の挿絵(マカミ)

学生運動といえば、政治思想にかぶれた若者の反抗——そう片づけたくなる。だが1968年、東大安田講堂を占拠し機動隊と攻防を繰り広げた全共闘運動と安田講堂の結び目には、思想だけでは説明のつかない四本の糸が絡んでいる。

一本目は、豊かさの糸。高度経済成長で大学進学率が急上昇し(進学率上昇と受験競争、1965年)、定員を超える学生が大教室に詰め込まれた。画一的なマスプロ教育と学費値上げへの不満が、校内にたまっていく。反乱の火薬は、貧しさではなく豊かさが用意した

二本目は、遠い戦争の糸。ベトナム戦争の本格化(1965年)。米軍の北爆が連日報じられ、反戦・反米がバリケードを築く直接の動機となった。

三本目は、作法の糸。ベ平連の発足(1965年)が示した、党派に頼らず市民が自分で声を上げる抗議のかたち。学生たちはその手法を運動のモデルとして受け取った。

四本目は、世代の糸。60年安保闘争(1960年)で挫折した運動家たちが大学に残り、その人脈と経験が、次の世代の足場として引き継がれていた。

四本が同じ一点で結ばれたのが、安田講堂だった。学生たちは既成の自治会組織によらない全学共闘会議(全共闘)を組み、各地の大学でバリケード封鎖や授業放棄に踏み切る。東京大学では安田講堂を占拠し、機動隊との攻防に至った。豊かさ・戦争・作法・世代——出どころのまるで違う力が、一つの形に合流したのだ。機動隊の導入で封鎖はまもなく解かれたが、大学の権威と管理体制への異議申し立ては、社会に深い衝撃を残した。

そして結び目からは、暗い糸が伸びていく。行き場を失った過激化の果てに、あさま山荘事件(1972年)。理想を掲げた運動が仲間内の凄惨な暴力に行き着く、その入口がここにあった。

安田講堂のバリケードは、飢えた世代の蜂起ではない。経済成長が豊かさとともに配った不満が、遠い戦争と、市民運動の作法と、前世代の記憶を巻き込んで結ばれた一点だった。歴史の大事件とは、こうした糸の結び目のことである。

▶ 再現: https://inga-emaki.bucket-co.workers.dev/inga-emaki.html#zenkyoto