糸の結び目 〔第157回〕

石油を断たれて開戦した日本は、その禁輸を自分の手で招いていた

主役: 南部仏印進駐(1941年)
石油を断たれて開戦した日本は、その禁輸を自分の手で招いていた の挿絵(マカミ)

太平洋戦争は、アメリカの対日石油全面禁輸から始まった——そう習う。追い詰められた日本が、資源を求めて真珠湾へ。だが、その禁輸のスイッチを押させた一点、南部仏印進駐(1941年)をほどいてみると、性格の違う四本の糸が同じ結び目で出会っている。

一本目は、泥沼の糸。日中戦争(1937年)は長期化し、石油もゴムも底をつきかけていた。資源を得ねば戦争が続けられず、中国を支える援蒋ルートも断ちたい。南方へ手を伸ばす動機である。

二本目は、外交の糸。日独伊三国同盟(1940年)で対米英関係は決定的に悪化した。もはや失うものは少ない——その居直りが、強硬策への敷居を下げた。

三本目は、遠い欧州の糸。独ソ戦の開始(1941年)でドイツの勝利を見込んだ日本は、北へ攻める北進論を退け、南進論に傾く。地球の裏側の戦火が、進む方角を決めた。

四本目は、足場の糸。前年の北部仏印進駐(1940年)で援蒋ルートの一部はすでに断ち、既成事実という踏み台ができていた。

四本が結ばれたのが、日ソ中立条約の直後だった。北の脅威をソ連との条約でひとまず封じ、後顧の憂いを断ったうえで、日本軍はフランス領インドシナ南部へ進駐する。ドイツに敗れて弱ったヴィシー政権下のフランス、その植民地の隙を突いた、好機を捉えたつもりの一手である。南方の資源地帯に手が届き、中国への補給路もいっそう締め上げられる——そう計算した。

だが、結び目からは一本の糸が出ていく。米国はこれを重大な脅威とみなし、在米日本資産を凍結し、対日石油輸出を全面禁止した——米国の石油禁輸(1941年)。日本が命綱と頼んだ石油は、日本自身がこの一点を結んだことで断たれた。資源を求めた一歩が、そっくり資源を断たれる引き金になる。そしてその先に、真珠湾がある。

追い詰められて開戦した、という筋書きは半分だけ正しい。追い詰めた壁の最後の一枚は、四本の糸を自ら手繰り寄せて結んだ、日本自身の手が積んだのだ。歴史の大事件とは、しばしばこうした糸の結び目のことである。別々の世界から伸びた原因が一点で出会い、そこから誰も望まなかった一本が伸びていく。結び目の恐ろしさは、結んだ本人にこそ、それがほどけないことにある。

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