皆保険は、高度成長がなくても全国民を覆う

1961年、国民健康保険と国民年金の適用が全国民へ広げられ、国民皆保険・皆年金体制が完成した。誰もが保険証一枚で医者にかかれる仕組み——その原動力は、高度成長で膨らんだ財布だと言われる。ならば好景気がなければ、皆保険は生まれなかったのか。
糸をたぐると、1961年の完成には出自の違う三本の糸が束ねられていた。一本ずつ切ってみよう。
もし高度経済成長の開始(1955)を消したら——それでも皆保険は成る。税収が伸び「成長の果実を分配せよ」という世論に応える、その財政的な後押しは消える。だが国民健康保険法(1938)が残る。戦時下に農村へ医療保険を広げたこの枠組みが下敷きとしてすでにあり、あとは適用範囲を全国民へ伸ばせばよかった。好景気が欠けても、戦前の制度が土台を差し出す。
では国民健康保険法を消したら——それでも成る。今度は55年体制の成立(1955)が効く。保守合同で生まれた自民党が、社会党との対抗上、社会保障の充実を競って公約に掲げる。既存の器がなくとも、政治の競争が制度を押し出す。
では55年体制を消したら——それでも成る。残った戦前の国保の枠組みと高度成長の税収が、全国民を医療と年金の網へ組み込む舞台を整える。
戦前の制度、経済の余裕、政治の競争。 一つは1938年の戦時立法の話、一つは1950年代の経済の話、一つは政党政治の話。生まれた時代も分野も違う三つの力が、たまたま高度成長期の同じ数年に出そろい、一枚の保険証に収束した。だから完成は消せない。因果絵巻の全1,002件を一つずつ消す実験をしても、国民皆保険・皆年金は一度も消えない。これが歴史の耐震構造である。
皮肉なのはその先だ。三本の柱が固く支えた皆保険は、支える人口が高齢化するにつれ、給付費を際限なく膨らませていく。やがてその重みが、別の新税——消費税を呼び寄せる。手厚い網を全国民に掛けた瞬間、その網を吊る綱をどう手当てするかという、次の宿題が始まっていた。 耐震構造が守るのは制度が建つことだけで、維持費までは面倒を見てくれない。
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