消せなかった歴史 〔第142回〕

高度成長は、朝鮮特需の棚ぼたではない

主役: 高度経済成長の開始(1955年)
高度成長は、朝鮮特需の棚ぼたではない の挿絵(マカミ)

1955年、神武景気を皮切りに、日本は年率10%の奇跡へ突入した。三種の神器が茶の間に並び、「もはや戦後ではない」と経済白書が書いた、あの高度経済成長である。きっかけは朝鮮特需——そう教わる。まるで隣国の戦争がなければ、日本は貧しいままだったかのように。

だが糸をたぐると、1955年の離陸点には、出自の違う三本の糸が別々の場所から伸びていた。一本ずつ切ってみよう。

もし特需景気(1950)を消したら——それでも成長は始まる。朝鮮戦争がもたらした外貨と設備稼働の跳ね上がりは消える。だが農地改革(1946)が残る。小作から自作農へ変わった農家の懐が温まり、洗濯機も冷蔵庫も買える国内市場が育っていた。外需が欠けても、内需が経済を押し上げる。

では農地改革を消したら——それでも始まる。今度は傾斜生産方式(1946)が効く。石炭と鉄鋼へ資材と資金を集中的に注ぎ込んで基幹産業を立て直したその土台が、重化学工業化の踏み台になる。消費市場が細っても、産業の背骨が成長を支える。

では傾斜生産を消したら——それでも始まる。残った特需が生産基盤を復興水準まで押し上げ、農地改革が労働力と購買力を都市へ送り出す。基幹産業の下地が薄くても、外需と内需の二本が離陸を促す。

外国の戦争、国内の土地改革、産業政策。 一つは地政学の話、一つは農村の話、一つは霞が関の政策の話。まるで畑違いの三つの力が、たまたま1950年代半ばに出そろい、同じ成長曲線の起点に集まった。だから離陸は消せない。因果絵巻の全1,002件を一つずつ消す実験をしても、高度経済成長の開始は一度も消えない。これが歴史の耐震構造である。

三本のうち二本を切っても、残る一本が離陸を促す——だからこそ、この成長は消せない。私たちは奇跡を「朝鮮特需の棚ぼた」と一言で片づけたがる。だが棚は一枚ではなかった。外から降ってきた特需、足元から育った内需、上から敷かれた産業基盤——三枚の棚が同じ時期に重なったからこそ、日本は落ちずに駆け上がれた。 奇跡と呼ぶには、支えが多すぎたのだ。

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