消せなかった歴史 〔第140回〕

終戦は、原爆だけでは訪れなかった

主役: ポツダム宣言受諾・終戦(1945年)
終戦は、原爆だけでは訪れなかった の挿絵(マカミ)

1945年8月15日、昭和天皇の肉声がラジオから流れ、国民は敗戦を知った。満州事変以来の戦争は、日本人だけでおよそ310万人の犠牲を残して終わる。終戦の決め手は原爆だった、と多くが記憶する。広島と長崎の惨禍が軍部を折った、と。だが降伏という一点へ日本を運んだ力は、原爆一つではなかった。

もし広島・長崎への原爆投下(1945)を消したら——それでも終わる。新型兵器による本土壊滅の恐怖という、強硬派を説得する材料は消える。だが同じ八月、ソ連が中立条約を破って満州・樺太・千島へ一斉に侵攻した。頼みにしていた和平仲介の望みは絶たれ、残された道は降伏だけになる。

ではソ連対日参戦(1945)を消したら——それでも終わる。北方からの侵攻と、仲介への絶望は消える。だが原爆が二発、都市を焼いた。本土決戦を続ければこの惨禍が列島全体に及ぶという恐怖が、政府と軍の上層に重くのしかかる。

では沖縄戦(1945)を消したら——それでも終わる。住民を巻き込んだ甚大な犠牲の記憶は薄れ、本土決戦がもたらす惨禍の実感は弱まる。だが原爆とソ連参戦が、有利な条件での終戦という日本政府の期待をすでに粉々にしていた。行き着く先は同じ降伏である。

新型兵器の恐怖、北方からの侵攻、地上戦の惨禍。三つの独立した衝撃が、同じ夏、降伏の一点へ収束した。 どれか一つを取り除いても、残る二つが御前会議を同じ結論へ追い込む。

だから消せない。因果絵巻の全1,002件を一つずつ消す実験をしても、終戦は一度も消えない。三本の柱のうち二本を折っても、残る一本が降伏の裁断を引き出す。歴史の耐震構造である。

国体護持を巡って紛糾した御前会議は、最後は昭和天皇の裁断でポツダム宣言の受諾を決めた。「原爆が戦争を終わらせた」という要約は、半分だけ正しい。残り半分は、満州へなだれ込んだソ連軍と、沖縄で失われた無数の命が書いている。三つの衝撃のどれか一つでも欠けていたら降伏は遅れたかもしれない。だが三つが同じ夏に重なった以上、終わりは動かなかった。終わりですら、一つの理由では訪れなかったのだ。

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