消せなかった歴史 〔第139回〕

真珠湾を回避するには、三本の別々の道を同時に塞ぐしかなかった

主役: 真珠湾攻撃・太平洋戦争(1941年)
真珠湾を回避するには、三本の別々の道を同時に塞ぐしかなかった の挿絵(マカミ)

1941年12月、ハワイ。山本五十六の立案した機動部隊が米太平洋艦隊を奇襲し、陸軍はマレー半島に上陸した。太平洋戦争——山本自身が「緒戦の優勢は半年から一年」と見た、勝算なき無謀な賭け、と語られる。ならばなぜ、勝てぬと分かる戦争へ進んだのか。答えは、退路が三方向から同時に塞がれていたからだ。

もし米国の石油禁輸(1941)を消したら——開戦は避けられるか。備蓄枯渇の圧力は消える。だが日独伊三国同盟(1940)で日本はすでに米国の仮想敵国とみなされ、対米関係を修復する余地が狭まっていた。時間の余裕はできても、対立の構図は残る。

では三国同盟を消したら——それでも進む。米国からの敵国扱いは和らぐかもしれない。だが石油禁輸で備蓄は日々減り、ハル・ノートは中国・仏印からの全面撤兵を迫っていた。撤兵か開戦かの二択は、同盟の有無に関わらず突きつけられる。

では日ソ中立条約(1941)を消したら——それでも進む。北方の安全という前提は崩れ、南方への戦力集中はためらわれる。だが石油の枯渇は待ってくれない。備蓄が底を突けば艦隊も飛行機も動かせなくなる以上、開戦は早めるほかない。北を気にしながらでも、追い詰められた側は南へ動く。

資源の窒息、外交の孤立、北方の安全。経済・外交・地政学という別々の領域の力が、真珠湾の一点へ艦隊を送り出した。 一本の道を塞ぎ直しても、残る二本が同じ港へ通じている。

だから消せない。因果絵巻の全1,002件を一つずつ消す実験をしても、太平洋戦争は一度も消えない。三本の柱のうち二本を折っても、残る一本が引き金にかかった指を押す。歴史の耐震構造だ。

東条英機内閣は御前会議を経て開戦を決めた。長期戦の不利は当初から認識されていた。「無謀」と後世は断じる。だが無謀を選ばせたのは一つの誤算ではなく、三つの独立した締めつけが同時に喉元へ届いていたからだった。勝算のなさとは、選択肢のなさの別名でもある。

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