消せなかった歴史 〔第137回〕

日露戦争は、遼東半島を返させた日に芽を出していた

主役: 日露戦争(1904年)
日露戦争は、遼東半島を返させた日に芽を出していた の挿絵(マカミ)

1904年、旅順。陸軍が多大な犠牲を積み上げて要塞を攻め、東郷平八郎の連合艦隊が日本海でバルチック艦隊を沈めた。日露戦争——ロシアの南下を防ぐため日本が国運を賭けた戦争、と教わる。英雄の名も海戦の図も鮮やかだ。だがこの戦争を止めようと過去へ手を伸ばすと、消せる糸が一本も見つからない。

もし三国干渉(1895)を消したら——それでも起こる。日清戦争で得た遼東半島を露独仏に迫られて手放した屈辱は消える。だが皮肉なことに、その遼東半島を租借して旅順に軍港を築いたのはロシア自身だった。日本が返させられた土地に、相手が要塞を建てた。反発の火種は、干渉がなくとも別の形でそこにある。

では義和団事件と露の満州占領(1900)を消したら——それでも起こる。事件を口実に満州へ居座り、撤兵の約束を破り続けたロシア軍がいなくても、韓国への影響力を巡る対立は残る。露が満州に留まる限り、交渉はいずれ決裂する。

では日英同盟(1902)を消したら——それでも起こる。開戦時に他国の参戦を抑止する保証は消え、日本は慎重になるかもしれない。だが遼東の要塞も、満州の露軍も、そこにある。抑止の傘がなくても、追い詰められた側はいつか刀を抜く。

露の南下、日本の反発、英の思惑。三つの国が、それぞれ別の理由で満州と韓国に手を伸ばしていた。 一国の事情を消しても、残る二国が旅順の同じ港へ艦隊を集めてくる。

だから消せない。因果絵巻の全1,002件を一つずつ消す実験をしても、日露戦争は一度も消えない。三本の柱のうち二本を折っても、残る一本が開戦へ引き寄せる。これが歴史の耐震構造だ。

日本はこの戦争を辛うじて勝ち、米大統領セオドア・ローズヴェルトの仲介で講和にこぎつけた。国力も弾薬も限界だった。「ロシアの脅威に立ち向かった」という物語は正しい。だが脅威を作った手の中には、十年前に日本へ半島を返させ、自らそこに港を築いたロシアの、ちぐはぐな欲望も混じっていた。

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