もしも百景 〔第127回〕

紅衛兵を街へ放ったのは、日中戦争だった

起点: 日中戦争(1937年) ・ 結末: 文化大革命(1966年) ・ 消滅 13
紅衛兵を街へ放ったのは、日中戦争だった の挿絵(マカミ)

1966年、毛沢東の号令で数百万の紅衛兵が街へあふれ、「造反有理」を叫んで旧い文化と実権派を打ち倒していく。文化大革命——中国共産党の内側で起きた、あまりに中国的な政治闘争である。その火種を三手さかのぼると、意外にも中国の外、日本の軍靴に行き着く。

1937年、盧溝橋の一発だ。

盧溝橋の銃声は全面戦争へ拡大し、出口のない泥沼となった(日中戦争)。ここから一手目。長期戦は国民政府を財政・軍事の両面で消耗させ、民衆の支持を削り取っていく。その隙をつき、戦後の国共内戦を制したのは共産党だった。中華人民共和国の成立である(1949)。

二手目。ソ連に倣いながらも独自の道を歩む新中国は、やがてスターリン批判とフルシチョフの平和共存路線に反発する。中ソ対立が表面化した(1960)。三手目。ソ連型の官僚的社会主義への不信を深めた毛沢東が、権力奪還を狙って大衆を動員する——文化大革命の発動だ(1966)。

日中戦争→建国→中ソ対立→文革。三手、二十九年。日本が撃った一発が、三十年かけて紅衛兵の腕章に届いている。

データで裏を取ろう。因果絵巻から「日中戦争」を抜くと、消える出来事は13件。国家総動員法も、切符制・配給制も、隣組も、食糧管理制度も、国民服とパーマ禁止も——日本の戦時総動員体制がまるごと消える。そればかりか中華人民共和国の成立も、中ソ対立も、文化大革命までも道連れだ。揺らぐ出来事は216件にのぼる。

もし盧溝橋で銃声が上がらなかったら、と幻の歴史は囁く。日本には切符も配給も隣組もない別の暮らしがあり、海の向こうでは国民政府も消耗せず、共産党の勝利もなく、中ソが割れることも、毛沢東が紅衛兵を放つこともなかったかもしれない。あの総動員体制も、この文化大革命も、同じ一発から枝分かれしていた。

私たちは日中戦争を「日本と中国の戦争」として記憶する。だがその余波は、日本の隣組から中国の紅衛兵まで、国境を越えて広がっていた。一つの戦争が、二つの国の日常を、それぞれの形で塗り替えていたのである。

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