ウクライナへの砲弾は、ソ連が自ら畳んだ日に仕込まれた

2022年、ロシアがウクライナへ侵攻した。冷戦後の欧州が経験したことのない大規模な戦争——原因は指導者の判断に求められがちだ。間違いではない。だが因果を三十年さかのぼると、その遠い起点は、ロシア自身がかつて手放したものに行き着く。
一九九一年の、ソ連の崩壊である。
一手目、ソ連が解体すると、その傘の下にいた東欧諸国は安全保障の後ろ盾を一夜にして失った。長らく東西を分けた冷戦の均衡が消え、力の空白が生まれたのだ。よりどころを求めた国々は、西側の集団防衛体制——NATOへの加盟を望む。こうしてNATOの東方拡大(1999年)が始まった。二手目、ポーランドやバルト三国など旧東側の国々が次々と加盟し、かつての最前線がじわりとロシアの国境へ近づいていく。この安全保障環境の変化がロシアの警戒感を積み上げ、隣国ウクライナのNATO接近を、軍事介入の口実とする土壌を用意した。そして2022年、砲声が上がる。崩壊→拡大→侵攻。二手、三十一年の将棋倒しだ。
データで裏を取ろう。因果絵巻から「ソ連の崩壊」を抜くと、消える出来事はわずか3件。NATOの東方拡大も、ロシアのクリミア併合も、そしてウクライナ侵攻も——この一本の糸の上に並んでいたものが、まとめて消える。揺らぐ出来事は8件。数は少ない。だが少ないからこそ、因果の筋が一本、くっきりと見える。
もしソ連が解体しなかったら。東欧が後ろ盾を失うこともなく、NATOがここまで東へ広がることもなく、その拡大をめぐる緊張も、また別の形をとっていたかもしれない。
超大国が自ら旗を降ろした日、世界は「冷戦の平和な終わり」を祝った。誰もが歴史の穏やかな一区切りだと信じた。だがその同じ日に、三十年後の国境の砲火が、静かに芽を植えられていた。帝国の終わりは、次の火種の始まりでもある。歴史は、幕引きと発火を、しばしば同じページに書く。
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