家康の青い目の顧問を運んだのは、宿敵カトリックが開いた航路だった

1600年、豊後の浜に一隻のボロ船が漂着する。オランダ船リーフデ号。乗員のウィリアム=アダムズ(三浦按針)とヤン=ヨーステンは家康に召し出され、外交顧問となった。プロテスタントのオランダ・イギリスが日本と結ぶ、その糸口である。だが、このプロテスタントの船を極東まで導いたのは、皮肉にも彼らの商売敵——カトリックが切り拓いた海の道だった。
大航海時代の波、である。
十六世紀、ポルトガルとスペインという二つのカトリック国が、アジアをめざして海へ乗り出した。喜望峰を回り、インドから東南アジア、そして中国・日本近海へと交易圏を広げる。1540年代には鉄砲とキリスト教を携えた南蛮船が列島に達し、日本は世界市場へつながった。この先発隊が開いた航路の延長線上に、後発のオランダが極東進出を試みる。
そして起きたのが漂着である。五隻・数百人で出航したオランダ船団のうち、飢えと病と嵐を越えて日本へたどり着いたのは、リーフデ号ただ一隻、生存者はわずか二十数名。歩ける者も数えるほどだったという。カトリックが敷いたレールの上を、プロテスタントの生き残りが這うように転がってきたのだ。1手の因果、渡った時間はちょうど60年である。
データで裏を取ろう。因果絵巻から「大航海時代の波が列島へ」を抜くと、消える出来事は1件——リーフデ号の漂着そのものだ(揺らぐ出来事は581件)。連鎖はわずか1手。だが、南蛮の船が世界への扉を開けていなければ、そこから入ってきた按針も、家康に仕えることはなかった。
皮肉はここで一周する。按針は家康に砲術や航海術を授け、その助言はやがて、宣教とセットで来るポルトガル・スペインを警戒し、布教を伴わないオランダとの取引へ舵を切る布石になっていく。カトリックが開けた扉から入った男が、そのカトリックを締め出す側の知恵袋になったのだ。先に海へ乗り出した者が、後から来た者に扉を教え、やがてその扉から締め出される——海の道を最初に拓いた栄光は、しばしば自分を追い落とす後発者への道案内で終わる。大航海時代とは、そういう玉突きの物語でもある。
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