もしも百景 〔第114回〕

蘇我本家を族滅させたのは、五十八年前の自分たちの勝利である

起点: 蘇我氏が物部氏を滅ぼす(587年) ・ 結末: 乙巳の変(645年) ・ 消滅 4
蘇我本家を族滅させたのは、五十八年前の自分たちの勝利である の挿絵(マカミ)

乙巳の変(いっしのへん)。645年、中大兄皇子と中臣鎌足が宮中で蘇我入鹿を斬り、翌日その父蝦夷が邸に火を放って自害する。専横をきわめた蘇我本家の、あっけない最期だ。教科書は「天皇中心の国づくりを阻む蘇我氏を打倒したクーデター」と教える。間違ってはいない。だが糸を手繰ると、蘇我氏を滅ぼした最初の一押しは、ほかならぬ蘇我氏自身の、輝かしい勝利にたどり着く。

587年、蘇我氏が物部氏を滅ぼした、あの戦いである。

一手目。崇仏か排仏かをめぐる争いで、蘇我馬子は排仏派の物部守屋を武力で討ち果たす。仏教を国のかたちに組み込むという路線が、この勝利で決した。対抗勢力を消し去った蘇我氏は、天皇の外戚として朝廷の実権を一手に握る。勝ちすぎたのだ。均衡を保つべき相手がいなくなった権力は、諫める者も競う者も失い、世代を重ねるほど歯止めなく肥大していく。

二手目。実権は馬子から蝦夷、入鹿へと受け継がれ、やがて天皇家をも軽んじる専横へと膨れ上がる。皇位継承にまで口を出し、山背大兄王を追いつめるに至って、周囲の危機感は臨界に達した。その恐れが、中大兄皇子と鎌足を結びつける。二手。五十八年。物部を倒したその剣の切っ先が、半世紀を回って蘇我本家自身に向き直った。

データで裏を取ろう。因果絵巻から「蘇我氏が物部氏を滅ぼす」を抜くと、消える出来事は4件。蘇我氏の専横も、乙巳の変も消えるが、それだけではない。推古天皇の即位と厩戸皇子(聖徳太子)の摂政も、冠位十二階も道連れになる。蘇我の勝利がなければ、あの聖徳太子の登場すら、因果の盤上から消えてしまうのだ。揺らぐ出来事は857件にのぼる。

もし物部氏が生き延びていたら。蘇我氏を掣肘する重しが残り、権力は肥大せず、入鹿が斬られることもなかったかもしれない。倒しすぎた者は、倒す相手を失って、自分の重さに潰れる。そして乙巳の変の翌年から始まる大化改新は、その蘇我氏が握っていた実権を、天皇のもとへ吸い上げる政治改革だった。勝者はしばしば、勝ったその日から、五十八年をかけて自分の墓穴を掘りはじめるのである。

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