もしも百景 〔第112回〕

江戸っ子が九尺二間に暮らしたのは、世が平和すぎたからである

起点: 江戸幕府の成立(1603年) ・ 結末: 長屋と銭湯の暮らし(1700年) ・ 消滅 10
江戸っ子が九尺二間に暮らしたのは、世が平和すぎたからである の挿絵(マカミ)

裏長屋の九尺二間(くしゃくにけん)。間口九尺、奥行き二間、畳にして四畳半ほどの空間に一家が寝起きし、壁一枚隔てて隣の夫婦げんかが筒抜けになる——あの江戸庶民の住まいである。狭さの理由は「土地が足りなかったから」。間違ってはいない。だが、なぜ土地が足りないほど人が集まったのか。糸を手繰ると、起点は意外にも天下泰平の始まりにある。

家康が開いた、江戸幕府である。

1603年、家康は征夷大将軍となり、二百六十年続く泰平の枠組みを築いた。ここから将棋倒しが始まる。将軍職を握った徳川に唯一対抗しうる豊臣家を、家康は大坂の陣で滅ぼし(1615)→残る大名の武力を封じるため武家諸法度を定め→三代家光がそこへ参勤交代を書き加え、大名に江戸と国元の往復を義務づけた(1635)。

ここで人が動く。参勤交代で諸大名が江戸屋敷に家臣団を常駐させると、武士とその奉公人が恒常的に江戸へ流れ込む。復興需要も重なって、江戸は世界にまれな百万都市へと膨れ上がった(1700)。人が集まりすぎれば、住む場所は足りなくなる。限られた敷地を九尺二間に細かく区切った裏長屋が、こうして生まれた。銭湯で裸のつきあいが育ったのも、各戸に風呂を置く余裕などなかったからである。

五手。九十七年。天下を平定した号令が、江戸っ子の狭い住まいと湯屋の湯けむりにまで、途切れず届いている。

データで裏を取ろう。因果絵巻から「江戸幕府の成立」を抜くと、消える出来事は10件。大坂の陣も、武家諸法度も、参勤交代も、明暦の大火も、玉川上水の開削も、江戸が百万都市になったことも、そして長屋と銭湯の暮らしも、まとめて道連れになる。揺らぐ出来事は593件——絵巻の三分の一以上が震える。

もし戦乱が続いていたら。人は一箇所に腰を据える暇もなく、九尺二間の窮屈も、湯屋の賑わいもなかったかもしれない。平和は、人を狭い部屋へ押し込める。戦国の世が終わって人々が安心して江戸へ集まったからこそ、その安心が住まいを狭くした。泰平の副産物が、あの壁の薄い長屋だったのである。

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