もしも百景 〔第94回〕

宮崎駿の金熊賞は、手塚治虫のコスト削減から生まれた

起点: 『鉄腕アトム』放送開始(1963年) ・ 結末: 『千と千尋』の世界的評価(2001年) ・ 消滅 2
宮崎駿の金熊賞は、手塚治虫のコスト削減から生まれた の挿絵(マカミ)

2001年、『千と千尋の神隠し』は国内の興行記録を塗り替え、ベルリン国際映画祭で金熊賞、米アカデミー賞で長編アニメーション賞を獲った。日本のアニメが、娯楽を超えて芸術として世界に認められた瞬間である。宮崎駿の天才が成し遂げた偉業——そう讃えたくなる。だが、その栄冠の遠い出発点にあるのは、芸術的野心ではない。

予算のやりくりである。

1963年、手塚治虫は自作マンガをアニメにしたいと願うが、劇場アニメ並みの滑らかな動画を毎週用意するのは、費用の面で到底不可能だと見抜いた。そこで彼は動きを描く枚数を大胆に減らすリミテッドアニメーションを採り、週一回三十分の連続テレビアニメ『鉄腕アトム』を低予算で成立させる。このケチと工夫の産物が当たったことで、テレビアニメという土壌に作り手と観客が育っていく。その積み重ねの延長線上に、劇場用長編を手がけるスタジオジブリが生まれ(1985年)、ジブリが重ねた技術と興行実績の上に、『千と千尋』が国際映画祭の頂点へ立った。二手、三十八年。コストを削るための苦肉の策が、世界最高の栄誉まで一本につながっている。

データで裏を取ろう。因果絵巻から「『鉄腕アトム』放送開始」を抜くと、消える出来事は2件。スタジオジブリの設立も、『千と千尋』の世界的評価も、そろって姿を消す。揺らぐ出来事は2件。幻史の見出しはそっけない——「ジブリは、生まれていなかった。」

もしアトムがなかったら。テレビアニメという場そのものが立ち上がらず、作り手も観客も育たず、その延長にあるはずのジブリも生まれず、宮崎駿が金熊賞を受け取る舞台は、この世に用意されなかった。あの湯屋も、カオナシも、千尋の背中も——四十年近く前の、一人の漫画家の節約術の上に、かろうじて乗っている。

芸術は、しばしば潤沢な予算からではなく、足りない予算の工夫から生まれる。手塚が枚数を惜しんだその一手が、めぐりめぐって世界のスクリーンを照らした。名作の系譜をたどると、その根は案外、地味なコスト計算に埋まっているものだ。

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