もしも百景 〔第91回〕

中世に人が売買されたのは、土地の名義が固まったせいである

起点: 荘園公領制の確立(1090年) ・ 結末: 下人・所従の隷属(1200年) ・ 消滅 1
中世に人が売買されたのは、土地の名義が固まったせいである の挿絵(マカミ)

中世の日本には、譲られ、売られ、土地とひとまとめに引き渡された人々がいた。下人・所従である。主人の家に従い、田を耕し、雑役に追われ、証文の上では家財と同じ扱いを受けた。なぜこんな隷属が生まれたのか——人の心が荒んでいたから、と片づけたくなる。だが因果の糸を一本たぐると、行き着くのは人の性根ではない。

土地の帳簿である。

1090年ごろ、延久の荘園整理令の審査を経て、権利書類の揃った荘園は公認され、揃わぬ土地は国衙領(公領)に位置づけられた。かくして荘園と公領が並び立ち、荘官や郡司・郷司が徴税と管理を担う枠組み——荘園公領制が固まる。土地の支配が制度として整うと、その経営には底辺で動く労働力が要る。整然と区切られた田畑を実際に耕し、運び、支えるのは誰か。かくして譲与・売買の対象となる下人・所従が、制度の裏面へ静かに組み込まれていった。土地の名義が動かせるものになった瞬間、そこに縛りつけられた人もまた、動かせる「もの」になったのだ。

データで裏を取ろう。因果絵巻から「荘園公領制の確立」を抜くと、消える出来事は1件——下人・所従の隷属、その当のものだけが、ぽつりと消える。揺らぐ出来事は16件に及ぶ。一手、百十年。壮大な制度史の話が、たった一手で、人が売り買いされる現実へと着地する。

もし荘園公領制が固まらなかったら。土地支配の枠組みそのものが宙に浮き、その底辺を埋めるべき隷属の労働も制度としては立ち上がらなかった。中世は——冒頭の幻史の見出しが言うとおり——「隷属のより薄い世」になっていたかもしれない。人を縛る鎖は、憎しみからではなく、整った帳簿から垂れ下がっていた。

制度が整うとは、たいてい良いことのように聞こえる。だが整うのは支配する側の都合であって、整った升目の一つひとつに人が押し込まれることもある。荘園公領制という無機質な四文字の底に、名を証文に書かれた人々がいた。歴史の教科書がさらりと流すこの一手を、私は一件の消滅として重く見る。

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