もしも百景 〔第90回〕

世界一のスパコンは、電卓の安売り合戦から生まれた

起点: 電卓戦争と集積回路(1970年) ・ 結末: スパコン「京」の開発(2011年) ・ 消滅 5
世界一のスパコンは、電卓の安売り合戦から生まれた の挿絵(マカミ)

スーパーコンピュータ「京」。一秒間に一京回という演算速度で世界一に立ち、日本の科学技術の象徴となった巨大な計算機である。その系譜をデータで遡ると、最先端の研究所ではなく、家電量販店の店頭で繰り広げられた、なんとも所帯じみた値下げ合戦に行き着く。

電卓戦争と集積回路(1970年ごろ)である。

1970年前後、電卓市場には多くの電機メーカーが雪崩を打って参入し、性能と価格をめぐる血みどろの競争を繰り広げた。各社は小型化と低価格化のために集積回路の採用と量産化を競い、発売当初は高価だった電卓の値段は短期間で劇的に下がっていく。一手目、この泥仕合の過程で磨かれた集積回路の設計・量産技術が半導体メーカーに蓄積し、通産省の超LSI技術研究組合による共同開発を経てDRAM量産へとつながった。半導体産業の台頭(1976年)である。二手目、この産業が培った微細加工と大規模集積の技術が演算素子の高密度化を可能にし、理化学研究所と富士通が多数の演算装置を高速回線で束ねる並列計算の基盤を築いた。それがスパコン「京」(2011年)を支えたのだ。電卓戦争→半導体→世界一。41年、わずか二手である。

データで裏を取ろう。因果絵巻から「電卓戦争と集積回路」を抜くと、消える出来事は5件。半導体産業の台頭が消え、ワープロとパソコンが消え、青色発光ダイオードが消え、スパコン「京」が消え、そして後継のスパコン富岳(2020年)まで消える。日本の電子立国の背骨が、まとめて抜け落ちるのだ。

ここに痛快な逆説がある。世界一の計算機を生んだのは、国家の壮大な計画ではなく、一円でも安く売ろうとする商売人たちの意地だった。利益を削り合う消耗戦こそが、この国最強の頭脳を鍛えたのである。

もしあの電卓戦争がなければ。日本に集積回路の量産技術は根づかず、青色LEDもスパコンも、まるで違う歴史をたどっていたかもしれない。店頭の値札をめぐる小さな争いが、半世紀後、世界の頂に立つ計算速度になる——因果は、意外なほど地べたから始まる。

▶ 再現: https://inga-emaki.bucket-co.workers.dev/inga-emaki.html#if=dentaku