もしも百景 〔第83回〕

『古事記』を書かせたのは、朝鮮半島での大敗である

起点: 白村江の戦いで大敗(663年) ・ 結末: 古事記・日本書紀の編纂(712年) ・ 消滅 7
『古事記』を書かせたのは、朝鮮半島での大敗である の挿絵(マカミ)

和銅五年、太安万侶がまとめ上げた『古事記』。神々の物語から始まる、日本最古の歴史書だ。国のなりたちを悠々と語る優雅な書物——そう思って読みたくなるが、この編纂の号令が下るには、半世紀前の海の向こうでの惨敗が要った。

白村江の戦いである。

663年、倭は滅んだ百済を救おうと、亡命した王族豊璋の要請を受けて大軍を朝鮮半島に送り、白村江で唐・新羅連合軍に完敗する。次は唐の大軍が攻め寄せるかもしれない——国の存亡がかかる、正真正銘の対外危機だ。実際、朝廷はただちに北九州に水城を築き、防人を配して防衛網を敷いた。この敗戦処理と防衛強化で強権を振るった天智天皇の路線に、皇族や豪族の不満がくすぶった。天智没後、その火種が一気に噴き出す——弟の大海人皇子が挙兵し、勝ち抜いて天武天皇となった(壬申の乱、672年)。

ここから中央集権が加速する。内乱で敵方についた有力豪族を一掃した天武は→対抗勢力を欠いたまま天皇権力を絶対化し(673年)→その正統性を内外に示すため、みずからの血統の由来を書き残そうとした。稗田阿礼に誦習させた帝紀・旧辞が、のちに太安万侶の筆を経て『古事記』へ結実する(712年)。三手、四十九年。

データで裏を取ろう。因果絵巻から「白村江の戦いで大敗」を抜くと、消える出来事は7件。水城・防人の設置も、壬申の乱も、天武天皇の中央集権強化も、藤原京遷都も、富本銭の鋳造も、渤海使の来日も、そして『古事記・日本書紀』の編纂も——まとめて姿を消す。揺らぐ出来事は809件に及ぶ。

もし白村江で大敗していなかったら。国を締め上げる対外危機は生じず、天智の強権も、それに反発した壬申の乱も、勝者・天武の権力集中もなく、神話を編ませる号令そのものが下らなかった。国家づくりは、もっと緩やかに進んでいたはずだ。

雅な神々の物語と、外洋での軍事的敗北。両者は結びつきそうにない。だが四十九年の因果を一手ずつたどれば、『古事記』の荘重な冒頭は、朝鮮半島で沈んだ倭船の遠い返礼なのだ。負け戦こそが、国に自分の来歴を語らせることがある。

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