もしも百景 〔第73回〕

世界最大の百万都市は、関ヶ原の一日で決まった

起点: 関ヶ原の戦い(1600年) ・ 結末: 樽廻船の分離(1730年) ・ 消滅 14
世界最大の百万都市は、関ヶ原の一日で決まった の挿絵(マカミ)

18世紀の江戸は、人口100万を超える世界屈指の巨大都市だった。玉川上水が水を引き、長屋と銭湯が庶民の暮らしを支え、大坂からは酒専用の快速船・樽廻船が下り酒を運び込む。この繁栄はどこから来たのか。徳川の善政、で片づけたくなる。

だが因果絵巻でルーツをたどると、江戸の水も湯も酒も、たった一日の合戦に行き着く。関ヶ原の戦いである。

1600年、秀吉死後の主導権をめぐり、家康の東軍と三成の西軍が美濃で激突した。小早川秀秋らの寝返りで、大勢はその日のうちに決した。ここから先が長い。勝った家康は、西軍大名を大量に削封し、諸大名を圧倒する所領を握って征夷大将軍となり、江戸幕府を開く。すると江戸は政治都市として人口を急速に集め、生活必需品を大坂から運ぶ菱垣廻船の定期便が就く。その定期輸送の先例が、鮮度を競う酒荷に専用便を求めさせ、摂津の酒問屋が樽廻船を分離させた。

関ヶ原 → 江戸幕府 → 菱垣廻船 → 樽廻船。130年の将棋倒しの果てに、酒が江戸へ流れ込む。

データで裏を取ろう。因果絵巻から「関ヶ原の戦い」を抜くと、消える出来事は14件。江戸幕府の成立はもちろん、五街道と伝馬制も、参勤交代の制度化も、明暦の大火も、玉川上水の開削も、そして「江戸が百万都市に」も「長屋と銭湯の暮らし」も——江戸という都市の骨も肉も、まとめて消える。揺らぐ出来事は596件にのぼる。

もしあの一日、小早川が動かず西軍が持ちこたえていたら。天下の主は別の顔ぶれになり、政治の中心が江戸に置かれる保証もない。百万人が住む都市も、その喉を潤す水道も、下り酒の速達便も、どこか別の土地の話になっていただろう。

私たちが「江戸情緒」として思い浮かべる長屋も銭湯も下り酒も、その日付は1600年秋の一日に刻まれている。都市の運命は、ときに一人の武将の寝返りより軽く、あっけなく決まってしまうものらしい。

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