もしも百景 〔第71回〕

日本酒の「速達便」は、秀吉の天下統一から生まれた

起点: 秀吉の天下統一(1590年) ・ 結末: 樽廻船の分離(1730年) ・ 消滅 21
日本酒の「速達便」は、秀吉の天下統一から生まれた の挿絵(マカミ)

樽廻船(たるかいせん)。江戸時代、灘や伊丹の下り酒を大坂から江戸へ、鮮度を競って運んだ酒専用の快速船である。物流史のすみに載る一隻——だがその出生を因果絵巻で1730年から遡ると、酒樽でも帆でもないものに行き着く。

天下統一である。

1590年、秀吉は小田原の北条氏を降し、約120年の戦国時代に幕を引いた。ここから話は、意外なほど遠くまで転がっていく。一手ずつ見よう。秀吉が築いた豊臣政権は、幼い秀頼を残して崩れやすかった。その権力の空白を、家康が関ヶ原で埋める。

関ヶ原に勝った家康は、西軍大名を削り、諸大名を圧倒する所領を握って征夷大将軍となり、江戸幕府を開いた。すると江戸は政治都市として人口を吸い上げ、木綿や油を大坂から運ぶ菱垣廻船(ひがきかいせん)の定期便が就航する。そしてこの「定期輸送」という先例が、鮮度勝負の酒荷に「専用の速い便を仕立てよう」という動機を与えた。摂津の酒問屋が菱垣仲間から独立し、樽廻船が分離するのだ。

つまり——天下統一 → 関ヶ原 → 江戸幕府 → 菱垣廻船 → 樽廻船。戦を終わらせた男の号令が、140年かけて酒の速達便にまで届いていた。

データで裏を取ろう。因果絵巻から「秀吉の天下統一」を抜くと、消える出来事は21件。関ヶ原の戦いも、江戸幕府の成立も、参勤交代の制度化も、五街道と伝馬制も、大坂の陣も、朝鮮通信使の開始も、菱垣廻船も——近世日本の骨格がまとめて道連れになる。揺らぐ出来事は604件にのぼる。

もし秀吉が天下を統一していなかったら。この盤面では、泰平の世そのものが別の手で訪れることになる。誰の号令で戦国が終わったかで、江戸の物流網の形も、酒の運ばれ方も、まるごと差し替わっていたわけだ。

灘の酒好きに、その一杯が「なぜ速く江戸に届いたのか」を聞かれたら、こう答えてあげてほしい。「秀吉が小田原を落としたからです」と。相手はむせるだろうが、こちらは1,555本の因果の糸を背負って真顔である。

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