もしも百景 〔第70回〕

シャクシャインの戦いを準備したのは、石高のない藩だった

起点: 松前藩とアイヌ交易独占(1604年) ・ 結末: シャクシャインの戦い(1669年) ・ 消滅 2
シャクシャインの戦いを準備したのは、石高のない藩だった の挿絵(マカミ)

1669年、日高の首長シャクシャインを中心に、蝦夷地のほぼ全島のアイヌが蜂起した。近世最大級のアイヌの戦いである。引き金は交易条件の一方的な悪化だった。ではなぜ、松前藩はアイヌとの交易をそこまで締め上げていったのか。二手さかのぼると、この藩の特異な体質に行き当たる。

石高を持たない、という一点である。

1604年、松前氏は徳川家康からアイヌ交易を独占する黒印状を得て立藩した。だが蝦夷地は稲作に適さない。米の生産高で家臣に知行を与える石高制度が、そもそも成り立たないのだ。そこで松前藩は独自の手を打つ。

アイヌとの交易地である「商場」を、知行として家臣に分け与えたのだ——商場知行制(1640)。 二手、六十五年。米の代わりに交易の権利で家臣を養うこの仕組みが、衝突の土台を敷いた。商場を請け負う家臣は、自らの取り分を増やそうと交易比率をアイヌに不利な方向へ動かしていく。漁場をめぐる対立も重なり、蓄積した不満はやがてシャクシャインを担いだ全島蜂起へと噴き出した。

データで裏を取ろう。因果絵巻から「松前藩とアイヌ交易独占」を抜くと、消える出来事は2件。商場知行制も、シャクシャインの戦いも、そろって道連れだ。揺らぐ出来事は3件——連鎖はごく細く、しかしまっすぐである。

もし松前藩が石高を持つ普通の藩だったら——アイヌを従える交易は、この形では敷かれなかった。米で家臣を養えたなら、商場を分け与える必要もなく、交易比率の切り下げも、それが生んだ蜂起も、違う道をたどっていたかもしれない。

一つの藩が「米が穫れない」という土地の条件に合わせて編み出した苦肉の制度が、そのまま先住民との交易を軋ませる装置になった。地の利のなさが生んだ仕組みが、地の民との衝突を準備する——因果の糸は、そんな巡り合わせを静かに書き留めている。石高という近世日本の物差しが通用しない北の果てで、その物差しの不在こそが独自の火種を生んだのは、なんとも皮肉な巡り合わせである。

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