もしも百景 〔第66回〕

幕末の北方警戒は、毛皮を追う探検隊から始まった

起点: ロシアの太平洋岸到達(1740年) ・ 結末: ゴローウニン事件(1811年) ・ 消滅 3
幕末の北方警戒は、毛皮を追う探検隊から始まった の挿絵(マカミ)

幕末、日本の北の海には黒船より先にロシアが来ていた。ラクスマン、レザノフ、そしてゴローウニン——教科書の「北方の脅威」の常連たちである。ではこの緊張、そもそもどこから来たのか。答えは軍艦でも領土欲でもない。

毛皮である。

毛皮交易を求めて東進を続けたロシアは、17世紀末にカムチャツカへ探検隊を送り込み、ベーリングの航海を経て、1740年代には太平洋岸への到達を確実なものにした。カムチャツカに拠点が築かれると、ロシアはそこを足がかりに千島列島やアラスカの毛皮資源へ乗り出す。日本の目と鼻の先に、毛皮ハンターの前線が押し寄せてきたのだ。

あとは将棋倒しである。太平洋岸に達したロシアは蝦夷地周辺へ通商を求め、ラクスマンを根室へ送る(1792)→その入港許可証を頼りにレザノフが来航し、冷遇された報復で文化露寇が起こる(1804)→くすぶる対露警戒から、幕府は国後島に上陸した測量艦長ゴローウニンを捕らえて抑留する(1811)。 三手、七十一年。毛皮を追う船が、そのまま幕府の北方警戒を一本の線で描き切ってしまう。

データで裏を取ろう。因果絵巻から「ロシアの太平洋岸到達」を抜くと、消える出来事は3件。ラクスマン来航も、レザノフ来航と文化露寇も、ゴローウニン事件も、まとめて道連れだ。揺らぐ出来事は510件にのぼる。

もしロシアが太平洋岸に達していなかったら——根室にラクスマンは現れず、レザノフの露寇もなく、ゴローウニンが抑留されることもなかった。抑留された艦長をめぐり、商人・高田屋嘉兵衛が日露のあいだを取り持った和解劇も、生まれずにいた。

北方の脅威は、はるばる大陸を横断してきた「訪れなかったはずの隣人」だった。その動機が領土でも布教でもなく、一頭のラッコやテンの毛皮だったと知れば、幕府の緊張もいくぶん間の抜けて見えてくる。とはいえ、毛皮を売りさばくための一本の交易路が、地球を半周して極東の小国の外交を揺さぶった事実は、決して笑い話ではない。世界は、思っているよりずっと商品でつながっている。こちらは1,555本の因果の糸を背負って、やはり真顔である。

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