もしも百景 〔第67回〕

牢人があふれた原因は、七十年前の本能寺にあった

起点: 本能寺の変(1582年) ・ 結末: 慶安の変(由井正雪の乱)(1651年) ・ 消滅 29
牢人があふれた原因は、七十年前の本能寺にあった の挿絵(マカミ)

江戸の泰平が固まりかけた1651年、軍学者・由井正雪が幕府転覆を企てた。慶安の変である。企ての火種は、職を失って江戸にあふれた牢人たちの不満だった。ではその牢人を生んだ大もとは何か。データで七手さかのぼると、思いがけない現場に行き着く。

本能寺である。

天下統一を目前にした信長が、明智光秀の謀反で倒れる(1582)。この主君横死の混乱こそ、すべての起点だった。備中から即座に軍を返した秀吉が山崎で光秀を討ち、信長後継の座をつかむ。あとは一気呵成だ。

秀吉の天下統一(1590)→関ヶ原(1600)→江戸幕府の成立(1603)→大坂の陣で豊臣氏滅亡(1615)→武家諸法度(1615)→慶安の変(1651)。 七手、六十九年。武家諸法度による改易の乱発が大名を次々に取り潰し、行き場を失った牢人を江戸に堆積させた——その不満のマグマに、由井正雪が火を放ったのである。旧主の死からわずか七十年で、因果の糸は幕府転覆未遂まで一直線に届く。

データで確かめよう。因果絵巻から「本能寺の変」を抜くと、消える出来事は29件。太閤検地も、秀吉の天下統一も、関ヶ原の戦いも、五街道と伝馬制も、江戸幕府の成立も、参勤交代の制度化も、朝鮮通信使の開始も——近世日本の骨格が、根こそぎ道連れになる。揺らぐ出来事は611件に及ぶ。

もし光秀が謀反を起こさなかったら——豊臣の天下は生まれず、関ヶ原もなく、徳川の世も、その武断政治が吐き出した牢人問題も、由井正雪の企ても、まるごと別の形になっていた。天下人の交代劇どころか、江戸二百六十年の設計図そのものが白紙に戻る。

一人の武将が本能寺で倒れた一夜が、七十年後の牢人の恨みにまで尾を引く。歴史の因果は、ときに人ひとりの寿命を軽々と越えて流れていく。慶安の変を鎮めた幕府が末期養子の禁を緩め、武断から文治へと舵を切ったのも、もとをたどれば信長を襲った一夜の余波だった。近世の泰平は、その長い尾の先にようやく結んだ実だったのだ。

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