もしも百景 〔第63回〕

iPS細胞のふるさとは、明治の帝国大学である。

起点: 東京大学の創設(1877年) ・ 結末: iPS細胞の作製(2006年) ・ 消滅 3
iPS細胞のふるさとは、明治の帝国大学である。 の挿絵(マカミ)

2006年、京都大学の山中伸弥が、皮膚の細胞にわずかな遺伝子を入れて、あらゆる組織になりうるiPS細胞を作り出した。受精卵を使わずに済む再生医療の切り札——のちのノーベル賞である。二十一世紀の京大の成果、と言えばそれまでだ。

だが因果絵巻でルーツをたどると、この快挙は一つの古い機関に根を張っている。東京大学、その前身の帝国大学だ。

1877年、政府は学制のもとで東京開成学校と東京医学校を統合し、法・理・文・医の四学部からなる東京大学を設けた。お雇い外国人が持ち込んだ最新の学問と、国民皆学の裾野。そのてっぺんに置かれた、近代日本の学術の頂点である。のちに帝国大学と改称され、官僚や技術者や研究者を送り出す源泉となった。ここで医学と生物学の研究の蓄積が始まり、その系譜が国内に分子生物学の土壌を育て、幾世代もの研究者の手を経て、やがて山中の研究環境へとつながっていく。一人の天才がゼロから閃いたのではない。百年をかけて積み上げた地層の、いちばん上に立っての一歩なのだ。

ここでデータが、ほかの記事にはない鋭さを見せる。「東京大学の創設」を抜くと、消える出来事は3件。iPS細胞の作製、湯川秀樹のノーベル賞、八木アンテナの発明——日本の科学史を飾る三つの栄冠が、まとめて消える。

驚くべきは、揺らぐ出来事がゼロ件であることだ。ふつう大きな出来事を抜けば、周辺の因果がぐらぐらと揺れる。ところが東大を抜くと、揺れない。消えるか、無傷か。中間がない。日本の近代科学は、この一機関から一直線に生え、途中の枝を持たずに実を結んでいる——絵巻はそう描いている。

もし明治政府が東京大学を建てなかったら。湯川の中間子論も、八木の電波も、山中のiPS細胞も、宿る場所を持てなかった。世界水準の研究は、別の機関が担っていたのかもしれないが、少なくともこの三つは、この一本の幹の上にしか実らなかった。

学問に国境はない、とよく言う。だが研究には、それが根を張る一枚の畑がいる。日本にとってその最初の畑を耕したのが、1877年の四学部だったのだ。

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