もしも百景 〔第47回〕

オランダ船が豊後に流れ着いたのは、トルコが地中海を塞いだからである

起点: オスマン帝国の拡大(1453年) ・ 結末: リーフデ号の漂着(1600年) ・ 消滅 6
オランダ船が豊後に流れ着いたのは、トルコが地中海を塞いだからである の挿絵(マカミ)

1600年、豊後の海岸に一隻のボロ船が漂着した。リーフデ号。五隻で出航したオランダ船団のうち、航海に耐えたただ一隻である。乗組員のヤン=ヨーステンとウィリアム=アダムズ(三浦按針)は家康に召し出され、日蘭関係の糸口となった——教科書はそう教える。だが、この一隻がなぜ地球を半周して日本まで来たのか。その引き金を引いたのは、船でも家康でもない。遠く離れた地中海の東で暴れた、一つの帝国である。

オスマン帝国だ。

一手目。1453年、メフメト2世が大砲で城壁を打ち砕き、コンスタンティノープルを陥落させてビザンツ帝国を滅ぼす。オスマンが東地中海の交易路と関税を握ったことで、香辛料を運ぶ従来の陸路貿易が圧迫された。二手目。ならば陸路を使わずインドへ、とポルトガルが喜望峰回りの航路を切り開く。三手目。その航路の延長線上でポルトガル船がアジアに拠点を築き、やがて交易圏を中国・日本近海まで広げていく。四手目。開かれたアジア航路を追って、後発のオランダ船が極東進出を試み、苦難の果てに豊後へ流れ着いた。トルコ→インド航路→アジア進出→漂着。四手の玉突きが、地中海の東端から豊後の浜まで一直線に貫いている。

データで確かめよう。因果絵巻から「オスマン帝国の拡大」を抜くと、消える出来事は6件。インド航路の開拓も、コロンブスの新大陸到達も、トルデシリャス条約も、ポトシ銀山の開発も、大航海時代の波が列島へ到達したことも、そしてリーフデ号の漂着も——大航海時代がまるごと消える

生き残った按針は、航海術や砲術の知識を買われて旗本並みの待遇を得、家康の外交顧問となった。この一隻の縁が、のちのオランダ船来航や平戸商館の開設へとつながっていく。

もしオスマンが地中海を塞がなければ。幻の歴史はこう囁く。「鉄砲とキリスト教は、別の道で届いていた」と。ヨーロッパが海へ乗り出す動機そのものが薄れ、按針が家康に仕えることもなかったかもしれない。侍が航海術を学び、朱印船が南洋を目指したあの時代の裏には、はるか西方で城壁が崩れる大砲の音が響いていたのである。

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