もしも百景 〔第48回〕

アイヌを「先住民族」と記した法は、それを認めなかった旧法から生まれた

起点: 北海道旧土人保護法(1899年) ・ 結末: アイヌ施策推進法(2019年) ・ 消滅 2
アイヌを「先住民族」と記した法は、それを認めなかった旧法から生まれた の挿絵(マカミ)

2019年、アイヌ施策推進法が制定され、アイヌは日本の法律上はじめて「先住民族」と明記された。国際世論や国会決議を背景に生まれた、権利をめぐる一つの節目である。では、この前進はどこから始まったのか。理念や運動の高まりだけではない。因果の糸をたどると、正反対の性格を持つ120年前の一本の法律に行き着く。

北海道旧土人保護法(1899年)である。

移民の急増でアイヌの狩猟・漁労の場が次々に奪われるなか、この法はアイヌを「旧土人」と呼び、一定面積の土地を給与する一方で、農耕への転換をうながし同化を進める内容を含んでいた。一手目。この同化の枠組みが、後年アイヌ自身から差別的立法として名指しされ、廃止を求める運動の直接の対象となる。批判の圧力が、1997年のアイヌ文化振興法を生み、旧土人保護法はここで廃止される。二手目。ところがその文化振興法は、文化の振興にとどまり「先住民族」の明記を欠いていた。その欠落こそが次の批判を呼び、明記を盛り込む2019年の新法を促した。否定されるべき法が、否定されることで次の法を呼ぶ——120年、二手の連鎖である。

データで確かめよう。因果絵巻から「北海道旧土人保護法」を抜くと、消える出来事は2件。アイヌ文化振興法(1997)と、アイヌ施策推進法(2019)。批判の起点が消えれば、その批判が生んだ二つの立法もまた立たない。揺らぐだけの出来事はゼロ件。この因果は、迂回路のない一本道なのだ。

もしこの旧法がなければ、と幻の歴史は言う。「アイヌ同化の枠組みは、別の措置で敷かれていた」と。同化そのものは、おそらく別の形で進んだだろう。だが皮肉なことに、後の権利回復を促した明確な「反面教師」は失われる。廃止すべき条文があったからこそ廃止の運動が形をとり、明記を欠く法があったからこそ明記を求める声が具体化した。一つの立法を問い直す長い営みが、次の立法の輪郭をかたちづくっていく。制度の歴史とは、過ちを名指しし、書き換えていく手続きの積み重ねでもあるのだ。

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