もしも百景 〔第46回〕

中世の金貸しをつくったのは、輸入された中国の銅銭である

起点: 宋銭の流通拡大(1200年) ・ 結末: 土倉・酒屋の金融(1370年) ・ 消滅 2
中世の金貸しをつくったのは、輸入された中国の銅銭である の挿絵(マカミ)

質屋。金融。借金のカタに品物を預ける仕組みは、現代日本の発明ではない。室町時代の京にはすでに、土倉・酒屋と呼ばれるれっきとした金貸したちがいた。では、彼らが貸し付けた元手の銭は、どこから来たのか。日本で鋳造された金でも銀でもない。たどっていくと、海の向こうからやって来た銅の円盤に行き着く。

宋銭である。

そもそも日本は、平安中期に皇朝十二銭の鋳造が途絶えて以来、まともな貨幣を持たない国だった。売り買いも税も、米や絹布で払うのが当たり前。ところが日宋貿易を通じて、大陸から大量の宋銭が流れ込んでくる。すると決済は次第に銭へと置き換わり、荘園年貢の一部を銭で納める代銭納の慣行まで各地に広がっていく。銭が社会の隅々まで行き渡り、はじめて「銭を貯める」ということが可能になったのだ。

ここで一手。醸造で儲けた酒屋、保管で儲けた倉庫業者——手元に余った銭を持つ者たちが、その銭を遊ばせておく手はないと気づく。質物を取って貸し付ければ、利息が生む。かくして土倉・酒屋という金融業が生まれた。宋銭が流れ込んでから、わずか一手・170年後のことである。しかもこの業者たち、稼ぎがあまりに大きいので室町幕府から倉役・酒屋役という営業税をかけられ、やがて幕府財政の柱にすらなっていく。輸入コインの余りが、政権の金庫を支える側にまで回ったのだ。

データで裏を取ろう。因果絵巻から「宋銭の流通拡大」を抜くと、消える出来事は2件。土倉・酒屋の金融と、その先輩格の借上の高利貸——消えるのは、そろって金貸し稼業なのだ。銭という燃料が断たれれば、それを貸して回す商売もまた立ち行かない。理の当然である。

もし宋銭がなければ、と幻の歴史は言う。「御家人の窮乏は、いくらか和らいでいた」と。皮肉なものだ。舶来の便利な銭がなければ、借りて首が回らなくなる者も生まれなかった。金融とは、豊かさの証であると同時に、借り手の困窮とワンセットで届く。中国の銅銭が列島に撒いたのは、貨幣経済の便利さと、質草を取られる者の嘆きと、その両方だったのである。

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