もしも百景 〔第42回〕

明暦の大火は、桶狭間の奇襲から始まった

起点: 桶狭間の戦い(1560年) ・ 結末: 明暦の大火(1657年) ・ 消滅 8
明暦の大火は、桶狭間の奇襲から始まった の挿絵(マカミ)

1657年、江戸を業火が包んだ。市街の大半を焼き、江戸城の天守まで灰にした明暦の大火。振袖火事とも呼ばれるこの災害の死者は数万にのぼる。火元も出火原因もいまだ諸説あるが、なぜ火が「あれほど」燃え広がったのか——その問いをさかのぼると、九十七年前、尾張の田んぼで起きた奇襲戦にたどり着く。

桶狭間の戦いである。

1560年、織田信長が今川義元を討つ。東の脅威が消え、信長は義昭を奉じて上洛し(1568)、天下布武へ突き進む。だが急拡大と強引な統制が家臣の反発を招き、本能寺に斃れる(1582)。その混乱を突いて中国大返しで駆け戻った秀吉が、体制を整えられぬ光秀を山崎に破り、後継の座を奪う。

そこからは将棋倒しだ。秀吉の天下統一(1590)→関ヶ原(1600)→江戸幕府の成立(1603)→大坂の陣で豊臣氏滅亡(1615)→武家諸法度→参勤交代の制度化(1635)。 家康・家光は大名の力を削ぐため、隔年で江戸と国元を往復する義務を課した。かくして諸大名の屋敷と家臣団が江戸に集中し、木造家屋がびっしり密集する巨大都市ができあがる。燃えるものを、これでもかと敷き詰めた街——そこへ火が放たれた。十手、九十七年である。

データで裏を取ろう。因果絵巻から「桶狭間の戦い」を抜くと、消える出来事は8件——信長の上洛も、比叡山焼き討ちも、本能寺の変も、信長が駆け上った道がまるごと消える。だが本能寺から先、秀吉の天下統一も、関ヶ原も、江戸幕府も参勤交代も、そして明暦の大火は消えない。天下は別の手からも統一されえたし、江戸を過密にした統制にも別の淵源があるからだ。それでも揺らぐ出来事は836件。信長の最初の一手が倒れれば、その後の百年が丸ごとぐらつく。

もし今川義元が桶狭間で討たれなかったら。信長の飛躍はなく、天下取りの顔ぶれも順序も入れ替わり、江戸の過密も、あれほど燃えやすい都市の姿も、まるで違っていたかもしれない。

奇襲戦と大火事。片や戦国の華々しい下剋上、片や泰平の世の惨事である。だが因果の糸は、義元を斃した一本の槍から、江戸を舐めつくした炎まで、一続きにつながっている。歴史は、勝ち戦のツケを、百年後の別の場所で払わせることがある。

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