もしも百景 〔第23回〕

親鸞の念仏を用意したのは、一枚の土地台帳だった

起点: 初期荘園の発生(750年) ・ 結末: 鎌倉新仏教の広がり(1224年) ・ 消滅 14
親鸞の念仏を用意したのは、一枚の土地台帳だった の挿絵(マカミ)

南無阿弥陀仏、と唱えれば救われる。出家も学問も修行もいらない。法然が説き、親鸞が悪人正機で継ぎ、日蓮や道元が枝を伸ばした鎌倉新仏教は、それまで貴族の独占物だった信仰を庶民の手に開いた。日本の宗教史の、大きな分岐点である。

では、その念仏を庶民に必要とさせたのは何か。飢饉か、戦乱か。もっと地味なものだ。土地の私有である。

8世紀半ば、墾田永年私財法を追い風に、東大寺や中央貴族が地方の荒地を切り開いて自分の所有地を広げた。これが初期荘園。公地公民の原則を実質的に崩す、最初のひび割れである。ここから4手の連鎖がほどけていく。

一手目、寄進地系荘園——不輸の特権を持つ荘園が各地に広がると、重い税に苦しむ開発領主が、土地の名義だけを貴族や寺社に寄進して税を逃れる手法を覚える。二手目、公領からの徴税が細った国司が農民への収奪を強め、その反発が平将門・藤原純友の乱という東西同時の武装蜂起を招く。三手目、こうした戦乱が続発した記憶が「もう末法の世が来た」という感覚を貴族に植えつけ、来世の救済にすがる末法思想と浄土信仰を育てる。そして四手目、その不安が平安末から鎌倉の戦乱と天災でいよいよ切実さを増したとき、易行の教えが民衆にまであふれ出した——鎌倉新仏教である。

データで確かめよう。因果絵巻から「初期荘園の発生」を抜くと、消える出来事は14件、揺らぐのは770件。武士の台頭も、奥州藤原氏も、中尊寺金色堂も、僧兵の強訴も『今昔物語集』も、まとめて土台を失う。武力も信仰も、荘園という器がなければ、まだ生まれる場所を持たなかったのだ。

面白いのは、この鎖が武と信仰の両方へ枝分かれしていることだ。同じ荘園という根から、片や自衛のために武装する武士が、片や来世にすがる念仏が育っていく。土地の私有という一点が、日本の中世に力と祈りの両輪をそろえて据えたのである。

もし土地の私有が認められなかったら。税を逃れる寄進も、それに怒る反乱も、末法の不安も起こらず、念仏の声はこれほど広がらなかったかもしれない。474年を隔てて、一枚の土地台帳が親鸞の口を動かしていた。信心の起点が、案外なまぐさい経理にあったという話である。手を合わせて阿弥陀にすがるその安らぎの、遠い源には土地をめぐる人間の欲があった。

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