1929年の大暴落を仕込んだのは、300年前のイギリス議会だった

1929年10月、ニューヨークのウォール街で株価が崩れ落ち、銀行と企業の倒産が連鎖して世界を長い不況に沈めた。世界恐慌。原因はと問えば、過剰な投機、信用取引の膨張、といった答えが返ってくるだろう。どれも正しい。だが糸をたぐると、崩壊の設計図は意外な場所に置かれていた。
イギリスの議会である。しかも241年前の。
1688年、専制を強めるジェームズ2世を議会が追放し、オランダからウィリアム3世を迎えた名誉革命。翌年の権利章典で、議会の同意なき課税も常備軍も禁じられ、王権が議会の下に置かれた。ここで生まれたのが財政への信頼だ。約束を守る政府が発行する国債は、安全な資本の受け皿となる。この土台の上で、7手の連鎖が回り始める。
将棋倒しを一気に見よう。安定した資本と法が産業革命を支え→重工業国となった列強が原料と市場を求めて帝国主義に走り→後発のドイツが台頭して孤立を恐れた各国が三国同盟など対抗的な同盟網を張り→その網が地域紛争を第一次世界大戦へ拡大させ→戦場にならず債権国となった米国が戦後の投機的繁栄を謳歌し→信用取引で株価が実体を離れて膨らみ→ウォール街の大暴落へ。膨らんだ風船は、必ず割れる場所で割れる。
データが裏づける。因果絵巻から「イギリス名誉革命」を抜くと、消える出来事は26件、揺らぐのは506件。産業革命もフランス革命もナポレオン戦争も、ロシア革命も第一次世界大戦も、暴落そのものも足場を失う。近代を動かした資本の秩序は、あの一度の無血革命を根に持っていた——近代の外圧は、根底からして違っていたのである。
7手、241年。制度が生んだ信用が資本を呼び、資本が国境を越えて競争と戦争と繁栄を渡り歩き、最後に自らの重みで崩れる。因果絵巻をたどると、近代史の背骨がこの一本の糸で貫かれているのが見える。
もし名誉革命がなかったら。国債への信頼も、それが育てた資本主義も、その膨張の果ての暴落も、まるで別の形になっていたかもしれない。安定を約束した制度が、241年後に世界最大の金融不安を用意していた。信用という便利な発明の、あまりに長すぎる利子の話である。
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