もしも百景 〔第21回〕

足利尊氏の裏切りは、17手かけて江戸の銭湯に届いた

起点: 足利尊氏の離反と室町幕府(1336年) ・ 結末: 長屋と銭湯の暮らし(1700年) ・ 消滅 58
足利尊氏の裏切りは、17手かけて江戸の銭湯に届いた の挿絵(マカミ)

九尺二間の裏長屋。共同の井戸と便所、内風呂はないから湯は銭湯で。江戸っ子の暮らしと聞いて誰もが思い浮かべる、あの下町の風景である。生みの親はと問えば、多くの人は「徳川」か、せいぜい「参勤交代」と答えるだろう。

だが因果の糸をたぐると、もっと意外な人物の手が見えてくる。足利尊氏である。

話は1336年。建武の新政の恩賞配分に武士の不満がたまる中、尊氏が光明天皇を擁立して京都に幕府を開いた。追われた後醍醐天皇は三種の神器を抱えて吉野へ。ここから、17手におよぶ将棋倒しが始まる。

一手ずつ倒れていく様は壮観だ。南北朝の分立が長い内乱を生み、それを戦う元手として幕府が守護に半済や段銭の権限を与え続けた結果、守護は一国を支配する守護大名へ肥え太る。その家督争いが将軍後継争いと結びついて応仁の乱へ。十一年の戦乱が権威を溶かして下剋上を常識に変え、家格に頼らぬ戦国大名が湧いて出る——桶狭間、信長の上洛、本能寺、山崎、秀吉の統一、関ヶ原、そして江戸幕府。まだ止まらない。大坂の陣で豊臣が消え、武家諸法度、そこへ家光が書き加えた参勤交代が大名の財と時間を削り、江戸に武士と奉公人を常駐させて人口100万の巨大都市を築いた。密集した江戸が、限られた敷地を九尺二間に区切る裏長屋を生んだ——18手目の到着地が、あの銭湯である。

データで裏を取ろう。因果絵巻から「足利尊氏の離反」を抜くと、消える出来事は58件、揺らぐのは906件。南北朝の分立も、応仁の乱も、下剋上も、戦国大名の登場も、本能寺の変も、まとめて道連れになる。だが関ヶ原から先の江戸の泰平——参勤交代も、その果ての長屋の路地までは消えない。都市江戸へ至る糸は一本ではないからだ。それでも906件が揺らぐという広がりが、尊氏の一度の離反がそこまで糸を伸ばしていたことを物語る。364年をまたぐ、絵巻屈指の長い糸である。

17手、364年。これは絵巻に刻まれた因果鎖のなかでも指折りの長さである。ひとつの離反が、これほど気の長い道のりを経て、湯屋の湯気にまでたどり着く。

もし尊氏が後醍醐天皇に背かなかったら。南北朝も応仁の乱も戦国も別の形をとり、江戸の湯屋の湯気さえ、違った路地から立ちのぼっていたかもしれない。裏切りの一手が、下町の人情まで沸かしていたのだ。銭湯の暖簾をくぐるとき、ほんの少しだけ室町を思い出してほしい。あの一番風呂の遠い薪は、京の政変で焚かれていたのだから。

▶ 再現: https://inga.jkrs.jp/inga-emaki.html#if=takauji