朝鮮通信使を呼んだのは、鎌倉幕府の滅亡である

1636年、江戸。朝鮮国王の使節・通信使が数百人の行列を組んで将軍のもとへ上る、泰平の世を象徴する外交儀礼が始まった。刀ではなく、詩と書と楽の親善使節である。この平和な行列の出発点を因果絵巻でたどると——なんと303年前、鎌倉での一つの「滅び」に行き着く。
鎌倉幕府の滅亡(1333年)である。
将棋倒しを一気に見よう。北条氏が倒れて武家政権が消えた隙に後醍醐天皇が建武の新政を始める→公家偏重で武士が離反→足利尊氏が室町幕府を開く→後醍醐が吉野へ逃れ南北朝の分立→内乱長期化で守護が一国支配者=守護大名へ→家督争いが将軍後継争いと結びつき応仁の乱→権威崩壊で下剋上→実力本位の戦国大名登場→桶狭間→信長の上洛→本能寺の変→山崎の戦いで秀吉台頭→天下統一→恩賞欲しさに朝鮮出兵→断絶した国交を対馬が回復(己酉約条)→その枠組みの上に通信使。15手。日本史の背骨をほぼ丸ごと貫く、一本の長い糸である。
改めて糸のしなやかさに驚く。武家の敗北(鎌倉の崩壊)から始まった連鎖の終着点が、武家の勝利でも戦でもなく、詩と楽を交わす親善外交だという逆転。しかも間に、天皇親政の夢も、応仁の焼け野原も、桶狭間の奇襲も、本能寺の炎も、すべて一本につながって挟まっている。
データが凄まじい。因果絵巻から「鎌倉幕府の滅亡」を抜くと、消える出来事は62件。建武の新政も、応仁の乱も、本能寺の変も、関ヶ原も、江戸幕府の成立も、参勤交代も——室町から江戸初期までがまとめて崩落する。揺らぐ出来事にいたっては649件、この絵巻の実に大半が震えるのだ。
もし北条氏が1333年に倒れていなければ。この303年ぶんの歴史は、まるで違う筋書きになっていた。鎌倉の武士たちが北条政権に見切りをつけたその瞬間、300年後に朝鮮からやってくる使節の足音は、もう鳴り始めていたのである。
歴史とは、これほどまでに気の長い、そして一手も飛ばすことのできない将棋倒しなのである。
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