もしも百景 〔第11回〕

流行歌の歌集は、皇位乗っ取り未遂から生まれた

起点: 道鏡事件(769年) ・ 結末: 『梁塵秘抄』と今様(1179年) ・ 消滅 8
流行歌の歌集は、皇位乗っ取り未遂から生まれた の挿絵(マカミ)

『梁塵秘抄』。後白河法皇が生涯をかけて蒐集した、庶民の流行歌「今様」のアンソロジーである。「遊びをせんとや生まれけむ」——教科書に必ず載る、あの艶っぽい一節の出典だ。天皇家の頂点にいた人物が、市井の俗謡に本気で入れ込んだ奇跡の一冊。

その奇跡の引き金を、因果絵巻でずっと遡ると、まったく色気のない事件に行き着く。坊主の皇位乗っ取り未遂である。

769年、女帝・称徳天皇の寵を得た僧・道鏡が、「宇佐八幡の神託だ」と称して自ら天皇の座を狙った。和気清麻呂の働きで企ては潰えたが、この事件は次の世代に強烈な教訓を残す。寺は、恐ろしい。即位した桓武天皇は、平城京にはびこる寺社勢力を断ち切るため、寺を連れずに都を移すことを決断した。

ここから将棋倒しが始まる。長岡京遷都(784)は種継暗殺と洪水で頓挫し、やり直しの平安京遷都(794)へ。桓武の死後は二所朝廷の対立が薬子の変(810)として噴き、勝った嵯峨天皇が側近ポスト「蔵人所」を新設する。この要職を独占した藤原北家は、応天門の変(866)で他氏を蹴落とし、外戚として摂政に就く先例を家業にした。それを極めたのが藤原道長の摂関全盛(1016)である。

だが道長が娘を入内させすぎた結果、皮肉にも外戚を持たない天皇が現れ、天皇家は摂関家に頼らぬ仕組み——白河上皇の院政(1086)を編み出す。院政で公家社会の外へ関心を広げた上皇の系譜の先に、市井の今様に耳を傾ける後白河がいた。——だから、歌集は生まれた。

データで裏を取ろう。因果絵巻から「道鏡事件」を抜くと、消える出来事は8件。平安京遷都が真っ先に消え、菅原道真の左遷も、道長の栄華も、白河院政も道連れになる。そしてその果てで、『梁塵秘抄』そのものが、歌われる前に消える

坊主が玉座を欲しがらなければ、日本の都は奈良のままだったかもしれない。そして「遊びをせんとや生まれけむ」は、誰にも書き留められなかった。歴史とは、ずいぶん遠くまで届く因果のことである。

▶ 再現: https://inga-emaki.bucket-co.workers.dev/inga-emaki.html#if=dokyo