もしも百景 〔第10回〕

後白河法皇の流行歌集は、奈良の大仏から生まれた

起点: 東大寺大仏の開眼(752年) ・ 結末: 『梁塵秘抄』と今様(1179年) ・ 消滅 9
後白河法皇の流行歌集は、奈良の大仏から生まれた の挿絵(マカミ)

平安末期、後白河法皇は当代の流行歌「今様」に夢中になった。喉を痛めるほど歌い込み、市井の歌謡を集めて『梁塵秘抄』を編ませる。高貴な人物の、意外な庶民趣味——そう片づけたくなる。だが、この歌集が世に出るには、四百年以上前に鋳られた一体の仏像が要った。

東大寺の大仏である。

752年、大仏の開眼。この巨大な国家事業を通じて、仏教教団は政治・財政の中枢へ深く食い込んだ。寺は国家に不可欠の装置となり、その延長で孝謙上皇の信任を得た道鏡が、ついには皇位にまで手を伸ばす(769年)。僧侶が天皇の座をうかがう——この前代未聞の事件に懲りた桓武天皇は、平城京にはびこる寺社勢力を嫌い、寺院を伴わぬ新京を求めて遷都を重ね、平安京が生まれた。

そこから先は一直線だ。薬子の変で蔵人所ができ→藤原北家が応天門の変で他氏を排し→道長の摂関全盛→外戚を持たぬ天皇が院政を編み出す(1086、白河上皇)。 そして院政で実権を握った上皇が、公家社会の枠の外へ関心を広げた。その延長で、市井の今様に親しんだ後白河院が歌謡を蒐集し、『梁塵秘抄』にまとめる契機を得た(1179年)。八手、四百二十七年。荘厳な大仏から一冊の流行歌集まで、因果は一本につながる。

データで裏を取ろう。因果絵巻から「東大寺大仏の開眼」を抜くと、消える出来事は9件。道鏡事件も、平安京遷都も、道長の摂関全盛も、白河の院政も、そして『梁塵秘抄』も——まとめて姿を消す。揺らぐ出来事は775件に及ぶ。

もし大仏が造られなかったら。仏教教団は政の中枢を握るほど育たず、道鏡事件も遷都もなく、平安京も、藤原氏の栄華も、院政という仕組みも生まれず、後白河が今様を書き留める舞台そのものが、この世に立ち上がらなかった。一冊の歌謡集は、四百年前の巨仏の上にかろうじて乗っている。

荘厳な大仏と、遊女や白拍子の口ずさむ流行歌。両者は似ても似つかぬ。片や国家鎮護の巨仏、片や巷の俗謡である。だが四百二十七年の因果の糸を一手ずつたどれば、後白河が喉を潰すほど愛した今様は、まぎれもなく盧舎那仏の遠い子孫なのだ。歴史の血筋は、見た目の似ても似つかぬ者どうしを、平然と親子でつなぐ。

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