もしも百景 〔第220回〕

信長を死地に追い込んだ挟撃は、家格なき大名の登場から始まった

起点: 戦国大名の登場(1493年) ・ 結末: 金ヶ崎の退き口(1570年) ・ 消滅 20
信長を死地に追い込んだ挟撃は、家格なき大名の登場から始まった の挿絵(マカミ)

1570年、越前へ攻め込んだ織田信長は、妹婿の浅井長政に背後を突かれ、絶体絶命の窮地に陥る。命からがら京へ逃げ帰った、名高い金ヶ崎の退き口である。この死地の淵源を糸でたどると、七十七年前、新しい型の大名の登場に行き着く。三手をさかのぼる。

起点は、家格に頼らぬ戦国大名の登場である。

1493年ごろ、北条早雲を先駆けとして、守護の家柄によらず武力と統治の実績だけで領国を築く戦国大名が各地に現れた(戦国大名の登場)。彼らは競って領土を削り合い、その争いのさなか、尾張の織田信長が上洛をめざす今川義元を桶狭間で討ち取る(桶狭間の戦い)。

今川という東方の脅威が消えたことで、信長は背後を気にせず美濃を攻略し、やがて将軍候補の足利義昭を奉じて上洛を果たす(信長の上洛)。将軍を戴いて畿内の秩序回復を掲げた信長は、その号令に応じない越前の朝倉義景を討つべく兵を進めた。ところが、この朝倉攻めが、朝倉と古くから結ぶ北近江の浅井長政に旧来の盟約を選ばせる。妹婿と信じた長政の離反が、信長を前後から挟み撃つ窮地——金ヶ崎の退き口を招いたのである。

データで確かめよう。因果絵巻から「戦国大名の登場」を抜くと、消える出来事は20件。桶狭間の戦いも、信長の上洛も、金ヶ崎の退き口も、川中島の戦いも、清洲同盟も、まとめて道連れになる。揺らぐ出来事は855件に及ぶ。

もし家格なき戦国大名が現れなかったら、信長の桶狭間も、上洛も、朝倉攻めもなく、金ヶ崎で背中を焼かれる危機そのものが、別の形になっていたかもしれない。

家柄によらぬ実力の大名が生まれたことが、七十年余りの糸をたぐり、ついに一人の英雄を死地の淵へ立たせる。型を破る者の登場が、次々と連鎖を呼ぶ——因果の糸は、その機微を静かに告げている。

▶ 再現: https://inga.jkrs.jp/inga-emaki.html#if=sengokud