『雨月物語』の遠い源は、朱子学への反逆だった

上田秋成が編んだ怪異譚『雨月物語』。その物語の遠い源をデータで遡ると、幽霊でも物語でもなく、儒学の教室で起きた一つの反逆に行き着く。
陽明学・古学の興起である。
17世紀半ば、官学として権威化した朱子学の思弁偏重に飽き足らぬ儒者たちが、注釈の垣根を取り払い、孔子や孟子の原典に直接向き合おうとする古学を打ち立てた(1662年)。「後世の解釈を疑い、原典そのものに立ち返る」——この学風が、次の担い手へ手本を渡す。
陽明学・古学の興起→契沖と国学の萌芽→賀茂真淵の万葉集研究→上田秋成と『雨月物語』。 三手、百十四年。古学の実証の構えに刺激を受けた契沖が、万葉集を注釈抜きで原典から読み解き(1690年)、その方法を賀茂真淵が県居派の学統として国学へ鍛え直す(1746年)。古代の言葉と物語への関心が学問として高まった土壌のうえに、秋成が和漢の古典を素材に怪異を描いたとみる説が有力である(1776年)。
各手をつなぐのは、対象こそ違えど「原典に直接あたる」という一貫した姿勢だ。儒学の古典で始まった原典回帰の作法が、日本の古典へ、そして物語の創作へと乗り移っていく。
データで確かめよう。因果絵巻から「陽明学・古学の興起」を抜くと、消える出来事は4件。契沖と国学の萌芽も、荻生徂徠と古文辞学も、賀茂真淵の万葉集研究も、上田秋成と『雨月物語』も、まとめて姿を消す。揺らぐ出来事は542件に及ぶ。
面白いのは、朱子学という権威への異議申し立てが、儒学の枠を越えて国学を育て、ついには怪談を実らせたことだ。原典を自分の目で読み直すという一つの構えが、学問の分野をまたいで受け継がれ、思いもよらぬ実を結ぶ。
権威を疑う小さな作法が、めぐりめぐって夜の物語を照らす。因果の糸は、学問の姿勢が世代と分野を越えて糸を引くその機微を、静かに告げている。
▶ 再現: https://inga.jkrs.jp/inga-emaki.html#if=kogaku