日本の茶の間をネットにつないだのは、国産ワープロが耕した土だった

2000年前後、インターネットが産業と生活の前提を変え始める。IT革命はアメリカ発の黒船——そう語られがちだ。だが日本の茶の間までネットが届いた道を糸で遡ると、輸入技術の一本だけでは編めない。三本が絡んでいる。
一本目は、軍の糸。1995年、もともと軍事研究網だったインターネットが商用プロバイダに開放された。研究者の閉じた回路が一般家庭に向けて開かれ、電子メールとウェブ利用が急速に浸透していく。黒船は、たしかに海の向こうから来た。
二本目は、生活の糸である。1979年以降のワープロと国産パソコン。日本語入力を可能にしたこの箱が、家庭にも職場にもコンピュータを馴染ませていた。キーボードを叩いて日本語を打ち、文書を保存する——その習慣がすでに根づいていたからこそ、ネット接続の需要は自然に伸びた。黒船が来る前に、上陸する港はもう耕されていたのだ。
三本目は、技術の糸。1980年からの光ファイバー通信である。大容量の通信網が、常時接続で高速なブロードバンドを可能にし、動画や重いデータを扱うネット利用を後押しした。細い電話線では担げなかった重さを、光の糸が受け止めた。
三本が結ばれる瞬間、政府もIT基本法を制定して電子政府化を掲げ、企業活動から個人の消費生活までがインターネットを前提とする仕組みへ転換していく。輸入された回線、国産の入力文化、国内の通信網——出自の違う三本が2000年前後の一点に収束した。
そして結び目からは、太い糸が何本も伸びていく。ブロードバンド網は、携帯とネットの融合を生み、スマホとSNSの浸透を運び、ネットニュースの台頭と新聞衰退を招き、やがて生成AIの急速な普及にまで届く。
歴史の転換点とは、糸の結び目のことである。IT革命も、軍の網と日本語の箱と光の線が一点で出会った、その結び目にすぎない。黒船を迎えたのは、国産ワープロが長年かけて耕しておいた、やわらかな土だった。
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