糸の結び目 〔第176回〕

ソ連の参戦を決めたのは、八月ではなく二月だった

主役: ソ連対日参戦(1945年)
ソ連の参戦を決めたのは、八月ではなく二月だった の挿絵(マカミ)

1945年8月9日、ソ連が満州へなだれ込んだ。原爆投下のわずか二日後、日ソ中立条約が生きているさなかの宣戦布告。突然の裏切り、と映る。だが「なぜソ連はこの日この時に動いたのか」を遡ると、参戦の日付は八月ではなく、半年前の二月に、日本の頭越しで決まっていた。

一本目は、大戦の糸。第二次世界大戦の勃発(1939)。独伊との戦いが、米英ソを対独の共同戦線で結びつけた。敵の敵が味方になる——この連合関係こそ、後の密約の土台である。戦争が、奇妙な握手を用意していた。

二本目は、密約の糸。ヤルタ会談(1945)。1945年2月、米英ソ首脳は、ソ連が対独戦終結の三か月以内に対日参戦することと引き換えに、南樺太と千島列島を渡す密約を交わした。参戦は、日本が知らぬ間に「契約」されていた。 発火の日付は、ドイツが降伏した日から逆算して、すでに刻まれていたのだ。

三本目は、遠い前提の糸。日ソ中立条約(1941)。北の安全を確保していたこの条約こそ、日本が「ソ連の仲介で有利な講和を」と最後の望みを託した綱だった。だがその綱は、一方的に断ち切られるためにこそ、そこに張られていたのである。

対独連合、ヤルタの密約、そして裏切られる中立条約。大戦の糸と密約の糸と前提の糸が、1945年8月、満州の国境で結ばれた。関東軍は事実上壊滅し、ソ連仲介という日本最後の望みは、綱ごと消える。

結び目からは、終戦への糸が伸びていく。この一撃が降伏の決断を後押しし、ポツダム宣言受諾・終戦(1945)へ。同時に、ソ連の千島占領と北方領土(1945)という、二月の密約が刻んだ通りの結末が現れる。八月の侵攻は、二月の署名を実行しただけだった。

皮肉なのは、日本が命綱と頼んだ中立条約こそ、参戦の日付を数える砂時計の台座だったことだ。歴史の大事件は、突然には起きない。別々の糸が、見えないところで一点に集まり、時が来て結ばれる。それを私たちは「突然の裏切り」と呼んでしまう。歴史の大事件とは、糸の結び目のことである。

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