日ソの握手は、鳩山がいなくてもモスクワで交わされる

1956年、鳩山一郎首相が自らモスクワに赴き、日ソ共同宣言に調印する。戦争状態は終わり、国交が回復し、シベリア抑留者の帰還も早まった。米ソが睨み合う冷戦の真っ只中で、なぜ日本はソ連と握手できたのか。鳩山という政治家の決断があったから——そう語られる。だが、もし鳩山を消したら、日本はソ連と国交を結ばずに済んだのか。糸をたぐると、握手を促す三本の糸が、別々の場所から伸びていた。
もしサンフランシスコ講和条約(1951)を消したら——それでも国交回復は要る。西側諸国だけと結んだ単独講和で、ソ連を調印国から外したという経緯は消える。だが冷戦が残る。東西陣営に引き裂かれた世界で、隣接する大国と法的な戦争状態を抱え続けることは、日本にとって重すぎる。いつか正常化の交渉が要る。
では冷戦の開始(1947)を消したら——それでも要る。西側単独講和へ日本を導いた地政学の圧力は消える。だがサンフランシスコ講和条約が、ソ連を除いて結ばれた事実として残る。調印しなかった国との戦争状態を、別途たたむ必要がそのまま残る。
ではソ連の千島占領と北方領土(1945)を消したら——それでも要る。領土という重石は軽くなるが、単独講和の欠けと冷戦の圧力が、ソ連との個別交渉をなお日本に迫る。
単独講和の欠け、冷戦の圧力、そして未解決の領土。 一つは条約の話、一つは世界秩序の話、一つは占領地の話。出自の違う三本が、たまたま1950年代半ばに出そろい、モスクワでの握手という一点へ収束した。だから消せない。因果絵巻の全1,002件を一つずつ消す実験をしても、日ソ共同宣言は一度も消えない。これが歴史の耐震構造である。
私たちは正常化を「鳩山の外交」と一言で称えたがる。だが歯舞・色丹は平和条約締結後に引き渡すという約束のまま宙に浮き、国後・択捉は継続協議へ送られた。戦争状態を終える必要は三本の柱が支えたのに、領土だけは支える柱を持てなかった。 握手は避けられず、平和条約だけが、今も棚の上に残っている。
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