アイヌとの交易を組み替えたのは、長崎の金銀だった

十八世紀の蝦夷地では、松前藩の家臣が持っていた交易地「場所」を、しだいに本州の商人が請け負うようになる——場所請負制だ。なぜ内地の商人が、遠い北の交易権を握っていったのか。二手さかのぼると、糸は蝦夷地を離れ、はるか南の長崎、そして江戸の政治にまで伸びる。
新井白石の、金銀を守る一手である。
1715年、儒学者・新井白石が幕政を主導した(正徳の治)。彼が頭を痛めたのは、長崎貿易を通じて国外へ流れ出す金銀だった。海舶互市新例で、白石は入港する貿易船の数と金銀の持ち出し量に厳しい上限を課す。
だが輸入をやめるわけにはいかない。そこで一手目。金銀の代わりの決済手段として、幕府は干し鮑・ふかひれ・煎海鼠といった海産物——俵物の輸出を奨励した(1720)。金銀を出さずに中国の品を買う、苦肉の貿易術である。
二手目。俵物の需要が跳ね上がると、その主産地は北の海だった。干し鮑や昆布を求めて本州の商人が蝦夷地へ押し寄せ、松前藩からアイヌとの交易権を請け負う仕組みが一気に広がる——場所請負制の広がりだ(1740)。
正徳の治→俵物→場所請負。二手、二十五年で、江戸の金銀対策が北の交易を組み替えた。
データで裏を取ろう。因果絵巻から「正徳の治」を抜くと、消える出来事は2件。俵物と長崎貿易も、場所請負制の広がりも、そろって道連れだ。揺らぐ出来事は7件——糸は細いが、南から北へまっすぐ貫いている。
もし白石が金銀の流出を放置していたら——干し鮑や煎海鼠をわざわざ輸出品に仕立てる必要もなく、その産地を求めて本州の商人が北の海へなだれ込むことも、松前の家臣がアイヌ交易を丸ごと商人に請け負わせる仕組みへ傾くことも、なかったかもしれない。
江戸城で白石が案じたのは、国庫の金銀だった。だがその一手は、千キロ北のアイヌと商人の関係まで静かに書き換えていた。金属の流出を止める手が、北の海の交易を動かす——因果の糸は、そんな遠い波及を書き留めている。
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