もしも百景 〔第117回〕

大名を貧乏にする制度が、世界一の都市をつくった

起点: 参勤交代の制度化(1635年) ・ 結末: 江戸が百万都市に(1700年) ・ 消滅 4
大名を貧乏にする制度が、世界一の都市をつくった の挿絵(マカミ)

1700年ごろ、江戸の人口は百万に達し、当時の世界でも指折りの巨大都市になった。泰平の首都、町人文化のゆりかご——そう語られる。だがこの人口爆発の直接の原因は、繁栄をねらった都市計画ではない。むしろ逆で、大名の懐を空にするための制度だった。

1635年、幕府は参勤交代を制度化する。全国の大名に、一年ごとに江戸と国元を往復させ、妻子は人質同然に江戸へ住まわせた。狙いははっきりしていた。行列の費用と二重の生活費で大名の財力を削ぎ、謀反を起こす余力を奪うことである。要するに、大名いじめの財政政策だった。

ところが、である。大名が江戸に屋敷を構え、そこへ家臣団を常駐させると、話は思わぬ方へ転がる。参勤で詰める武士、彼らに仕える奉公人、屋敷を建てる職人、それを食わせる商人——人が人を呼ぶ連鎖が起きた。大名を弱らせるはずの制度が、恒常的に人を江戸へ集め続ける巨大なポンプになったのだ。武士とその奉公人の集住が、そのまま百万都市の人口の土台になった。

しかも波及は江戸の内側にとどまらない。行列が通う街道には宿場が整い、大名が国元から運ぶ物資と、江戸で使う金を工面するための年貢米が、全国の湊と市場を巡り出す。大名の財布を軽くするはずの往復が、街道と経済を太らせていった。締め上げの装置は、同時に日本中を結ぶ流通の背骨でもあったのである。

データで裏を取ろう。因果絵巻から「参勤交代の制度化」を抜くと、消える出来事は4件。江戸が百万都市になる未来はもちろん、玉川上水の開削も、明暦の大火も、長屋と銭湯の暮らしも——江戸の日々を彩った風景が、まとめて消える。揺らぐ出来事は566件。江戸という時代そのものが、この一制度の上で揺れているのがわかる。

もし幕府が大名を締め上げる算段をしなければ。武士がこれほど江戸に集まることもなく、水道を引く必要も、大火に焼かれる裏長屋も、湯屋の賑わいもなかった。

皮肉なものだ。相手を弱らせようとした仕組みが、いつのまにか世界一の繁華を育てていた。参勤交代は、大名の財布をねらった鉄砲だったが、その反動で、江戸に百万人ぶんの暮らしを撃ち込んでしまったのである。

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