世界を一つにつないだのは、戦後を分けた密約だった

2019年、新型ウイルスの発生。一地域で生まれた病が、わずかな時間で世界中へ運ばれた。グローバル化の負の側面——そう総括される。だが、その「世界がつながった」下地を一手ずつ遡ると、意外な一室に行き着く。
1945年、クリミア半島のヤルタである。
ドイツの敗色が濃い冬、米英ソの首脳がヤルタに集まり、戦後処理を協議した。ドイツの分割占領、東欧の勢力圏——ここで引かれた線引きが、戦後をめぐる米ソの相互不信の土壌となり、冷戦の開始(1947)を用意する。軍拡競争で経済が疲弊したソ連は、やがて情報公開と改革のペレストロイカへ転じ(1985)、その言論緩和が東欧の民主化を誘発して、ベルリンの壁崩壊(1989)に至る。
そこから先は一気だ。東西を隔てた壁が消える→資本と情報と人が旧東側にも流れ込み、グローバル化が加速(1990)→国境を越える人と物の移動が飛躍的に増える。 その、人と物が地球を高速で巡る世界こそが、一地域の新型ウイルスを短期間で各地へ運ぶ下地となった(2019)。五手、七十四年。戦後を分けた会談から、世界をつないだ病の下地まで、因果は一本につながる。
データで裏を取ろう。因果絵巻から「ヤルタ会談」を抜くと、消える出来事は37件。冷戦も、朝鮮半島の南北分断も、ベルリンの壁崩壊も、ソ連の崩壊も、インターネットの商用化も、同時多発テロも——そして新型ウイルスの発生も、まとめて姿を消す。揺らぐ出来事は187件に及ぶ。
もしヤルタで戦後の線が引かれなかったら。冷戦も、その終わりとしてのグローバル化も別の形をとり、人と物がこれほど高速に地球を巡る世界は、同じようには立ち上がらなかったかもしれない。
戦後秩序を分割した密約と、世界を一つにつないだ病。前者は世界を東西に切り分け、後者は国境を無視して広がった。正反対に見える二つは、しかし七十四年の糸で結ばれている。世界を割った同じ手が、めぐりめぐって世界をつないでいた——歴史は、そういう皮肉を平然と仕込む。
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